2011年1月30日日曜日

与謝野試案は6月、菅政権はそれまで持つのか?

「たち日党」を離党してまで、与謝野薫氏がこだわる消費税率アップとは何なのか?
29日朝のTVに出演した与謝野氏は、「従来のいろんな案を公平に見て、6月までに案を作る。その案を持って、菅(直人)首相が谷垣(禎一自民党総裁)氏や山口(那津男公明党代表)氏と話し合ってほしい。私が出ていったら『コラ、与謝野』という話になるので、私は出ていかない」と述べたそうです。

与謝野氏は父親が外交官だったことから、エジプトで英語学校などに通い、その後日本に戻って麻布高校に編入学し、平沼赳夫氏と同級生となって、東京大学に進学した全共闘世代の秀才。
母の知人・中曽根康弘氏の紹介で日本原子力発電に入社、英語専門文献の翻訳などを手がけ、米国での資金調達や原子力保険といった金融業務にも従事していたそうです。
民社党の核拡散防止条約に関する訪欧調査団に、会社から原子力の専門家・通訳として同行、スイス、ユーゴスラビア、イギリス、イタリア、ドイツなどを訪問したことが、政界と関わりをもつようになったきっかけだとか。
1968年日本原子力発電を退職し、中曽根議員の秘書となり、1972年12月の衆議院議員総選挙に立候補して落選、そしてその次の1976年12月の衆議院議員総選挙に東京1区から立候補し初当選して政界入りした方です。

首相候補と言われながらも、政局に振り回されて政権は取れず、麻生政権が総辞職したことをきっかけに野党となって鳩山由紀夫首相の偽装献金問題を追求し、鳩山を「平成の脱税王」とまで呼んだりしました。
そして不甲斐ない自民党の執行部を批判する記事を書き、4月7日付で離党届を提出し、「反民主・非自民を貫く」と述べて平沼氏と「たちあがれ日本党」を結成しました。

政治思想は、小選挙区制廃止・中選挙区制復活論者であり、靖国神社の自発的なA級戦犯の分祀論者であり、永住外国人への地方選挙権付与に反対する論文を書いています。
面白いのは、「e-Japan重点計画特命委員会」委員長になった時から、オープンソース活用の積極的推進論者となり、「OSSの推進は日本の競争力向上のカギ」と述べ、Microsoft Windows偏重の弊害を指摘するなど、結構なIT通のようです。

なぜ、与謝野氏が「たち日党」を離党して、あれほど非難していた民主党へ走ったのかよく判りませんが、どうやらこの消費税率アップのための「与謝野試案」作成が目的だったのかも知れません。
試案を作り、この国の将来を磐石なものにしたい・・という思いを、上手に小沢氏にくすぐられたようにも思います。政治家は世間にどのような後ろ指をさされても、信念を貫けばそれでいいんだ・・などの文言が彼を動かした、そんな気がします。

秀才の与謝野氏には、経済をどうしたらいいのかが見えているのかも知れませんが、彼がどんなに思いを入れても、世間はそうはうまく動かないでしょう。
まして、すでにすっかりメッキのはげた民主党。そして菅政権です。4月に行われる地方議員選挙でも、民主党の苦戦は防ぎようが無いでしょう。
菅首相が退陣して、次の政権(前原氏か原口氏か・・)になっても党内サヨクが足を引っ張ります。支持率は一時は期待を込めて上がるでしょうが、すぐに萎んでまともな政治活動が出来ないのではないでしょうか?

そんなレームダッグ化する政党に試案を託しても、日の目をみることは出来ないのではないでしょうか・・・

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