2018年5月6日日曜日

マルクス像を寄贈?

中共がドイツ西部トリーアという都市に、カール・マルクスの5.5mの像を贈ったとか。

哲学者カール・マルクスの生誕200年祈念と言うことらしいのです。トーリアはマルクスが生まれた都市で、ドイツでは「共産主義の父」ということでカール・マルクスの評価は割れていると言うことです。

まあ昔は西ドイツと東ドイツに分かれていたわけですから、評価が割れていると言う意味も解ります。ですから受け入れには議論が起きて、結局市議会が昨春に賛成42票、反対7票で受け入れを決めたと言うことです。

何故受け入れ賛成かと言うと、「年15万人」に上る中共からの華人観光客の増加に期待したからだそうです。しかし華人の観光客を目当てにマルクス像を受け入れるとは・・・

そう言えば、今年5月4日に習近平主席が北京で「(中共の)歴史と人民がマルクス主義を選択したのは完全に正しく、党がマルクス主義を旗印にしたのは完全に正しい」とか重要講話を行っていましたね。
習主席は、さらに「中国共産党員はマルクス主義の忠実な信奉者として、その堅持と発展のために努力している」と述べたそうです。
わざわざこのような講和をすると言うことは、中共の現在の経済が危機的状況にあることを裏付けているのかも知れません。

マルクスの資本論は、要するに「資本はやがて集約し、一部の資本家と多くの労働者に分かれる。資本家は豊かになるが、労働者は奴隷的仕事を強要される」という理論です。

この考え方は一部は当たっていたかも知れません。しかしここには技術発展と設備老朽化という概念が入っていないのです。

ソビエト連邦が瓦解した時、ソビエトの生産技術は資本主義国に比べて技術発展もなく、また設備老朽化に対する保守、あるいは新設ということがなされていませんでした。つまり経営上に「減価償却」という概念が入っていなかったのです。

そして現在もまだ、ロシアには外貨獲得のための製品が作れません。ですから輸出製品がエネルギー関連だけと言うお粗末さです。
ではロシアに技術が無いかと言えば、軍事技術などは先進性を持ち、アメリカに対抗するものは持っているのです。ないのは民生品。それを商って利益を出すことが苦手のようです。

ソビエト連邦の二の舞にならないように、中共は必死でした。しかしやり方は西側諸国を騙し続け、民生品の技術を盗み、軍事技術も盗み、体裁だけは資本主義諸国と並び、そして経済的には一党独裁という特質を生かしてアメリカに継ぐ第2位の地位につきました。

しかし「共産主義」という立場は崩さず、その結果がこの習主席の講和になったのでしょう。
では、この中共のやり方が今後も本当にうまく行くのでしょうか・・・

民生品はいまだに組立工場の粋を出ていないようです。石平氏が言うように、基本部材(例えば集積回路)などは外国の製品を輸入して生産がなされていると言うことです。
この方法なら少ない投資で最先端の製品を作ることは可能でしょう。しかし部品の供給元から供給を止められれば生産が止まってしまいますし、その状況に自国で対処することは出来ません。
この状態を「脆弱」と言う訳です。

軍事面ではどうでしょうか。最新鋭の空母や戦闘機を作り上げております。しかしよく見ればそれはアメリカからハッキングして得た情報をもとに設計して作った物のようです。
アメリカとその同盟国は、さらに次世代の戦闘機を開発出来ます。何故なら現世代の戦闘機のデザインをして苦労いるからです。しかしデッドコピーを作る技術では、敵国の武器が出来てからでないと作ることは出来ません。

それから、あの広い国土では、軍の統制が取れないのではないでしょうか?
詳細に見れば民族も違い、生活習慣も違う軍隊です。言葉も違うかも知れません。本当に北京語が隅々まで行き渡っているのでしょうか。
「北京語が出来ないやつは殺す」と言うくらいの脅しをかけても、言語はそう簡単に隅々までは行き渡りません。日常とか商売ならば、共通の文字「漢字」を使えば意思伝達は可能でしょうが、軍事的指示系統を守らせるることは出来ないと思うのですけど。これでは統制の取れた作戦活動は不可能だと思います。

日本軍が強かったのは「天皇陛下」という共通の国家認識を持っていたからだと思うのです。アメリカには負けましたが、それ以外では本当に強かったわけです。
アメリカが強かったのも「キリスト教」という共通認識を持っていたからでしょう。特にプロテスタントは怖いですね。共通の「正義」を持つことが出来るからです。

だからこそ現在、日米は同盟国でいられるのです。それを嫌うサヨク達が「天皇排除」を画策するのは「日本の正義」を潰せば日本が無くなるからです。

中共がドイツに贈ったマルクス像の意味は、ドイツとの共通認識の構築が目的なのでしょう。「ドイツ統一は東側の理念で」というメッセージだと思います。
しかし宗教を嫌うマルクスの思想で「義」は構築できるのでしょうか・・・

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