産経のコラムにジャーナリストの門田隆将氏が、「左と右、リベラルと保守-いまだにそんな古い価値基準にとらわれている人が多い。しかし現在が『左右対立の時代』ではなく、『観念論と現実論』との闘いの時代だと(私は)評してきた」と書かれておりました。
昨年の暮れに三賢孝明氏の公演シンポジウムでも、質問の時間に「なぜ自民党が右で共産党が左なのでしょうか。共産党は『平和国家を守れ』とか立民は『憲法を守れ』と言い、自民党は『憲法改正』とか『改革を進める』と言っています。ならば共産党や立民党が右で自民党は左なのではないですか。」との質問をした若者が居たことは、このブログに書きました。
門田隆将氏は、昨年の夏に読売新聞と早稲田大学現代政治経済研究所との共同調査で、若者が、リベラルとは「自民党や日本維新の会」であり、保守とは「公明党や共産党」であるという認識を持っていることをリポートしたと述べておられます。
シンポジウムでは、登壇していた中野剛志先生が「左側は『個人主義』です。自己の権利を強く主張し、まず自分が中心で発想を展開する。そして右側は『集団主義』です。集団は家族でも企業でも国家でもいいのですが、まず属する集団の利益を考え、それに基づいて行動する。」として右と左を認識するよう説明されました。
門田氏は「『観念論と現実論』との闘いの時代」として、これまで左とかリベラルと言われてきた側を「観念論」、世界情勢の現実に対して対応する側を「現実論」として価値基準を設定する考えです。
左翼と右翼は、もともとフランス革命のときに会議場の左側に「自由で平等な個人から成り立つ社会」を目指す者が座り、右側に「伝統的・歴史的な権威としての君主や身分制度は必要である」とする者が座った事から左翼と右翼、リベラルと保守、の対立が言語上に登場したものです。
その後、欧州で産業革命が起こり、「君主や身分の上の者」が持っている土地(農地)から上がる利益を資本として産業の設備投資を行い、「個人(農民)」を工場労働者として働かせて莫大な利益を上げ始めてから、自体は変わってきます。
産業化時代の始め、マルクスという経済学者がこの状況を見て「資本は集約し、一部資本家と大多数の労働者に別れる」ことを予言し、劣悪な労働環境に置かれる労働者は革命を起こすと述べたようです。
これをキャッチアップしたロシアのレーニンが「共産主義革命」と銘打った労働者による革命運動を始めます。「マルクス・レーニン主義」として広まって行った「新興宗教的革命」は、マルクスの資本論をバイブルのように扱い、やがてこれが左翼というジャンルになって行きます。
従って犯共産主義勢力は右翼となります。
産業は技術を進歩させ、最先端の技術は先ず兵器に使われます。莫大な生産品は莫大な消費地を求め、それまでは「民族の団結を問う神性な戦いだった戦争」を、やがて「単なる人殺し戦争(第一次大戦のレッドバロンことリヒトホーフェンの言葉)」に変えていきます。
新興国のアメリカは「誰でも努力することで資本家になれる。民主主義が機能すれば大丈夫」として共産主義には反対します。
しかしそれが1930年代に狂ってしまいます。大恐慌が襲い、当時の大統領だったフーバーは景気回復に失敗、変わったルーズベルト大統領は新しい経済方式として共産主義の取り込みを画策します。
これが第二次世界大戦へと拡大していきます。そしてその後、「産業界を競走させることで資本の集約は避けられる」として「自由資本主義社会」を打ち立て、「共産主義体制」と対立し冷戦構造を固定化します。
産業主義のもとで自由主義と共産主義の対決になった時、保守とリベラルの対決が始まるわけです。自由資本主義側は経済理論にマルクスではなくケインズを取り込みます。
産業界の競走は産業技術を発展させます。そしてやがて共産主義との間で商品格差が生まれ、さらに官僚主義の坩堝に嵌った共産主義の牙城・ソビエト連邦が崩壊します。
冷戦構造の核ミサイル体制から解き放たれたネットワーク・システムが世界を瞬く間に覆い、産業主義から情報主義への胎動が始まります。
そして、それに伴って「右翼」と「左翼」の分類が時代遅れになってきたのかも知れませんね。
なぜなら、共産主義(左翼)も自由主義(右翼)も、もとは産業主義を実現するための2つの手段に過ぎなかったからです。
ですから「右翼」と「左翼」の意味も変遷していきます。共産主義社会では共産主義が右翼で、反共産主義は左翼ということになります。
ですから共産主義を目指す日教組に育てられれば、「公明党や共産党、立民党」は右翼であり、「自民党や日本維新の会」は左翼だとなるのは当たり前でしょうね。
今、若者は自民党に投票します。それは現実主義だからです。安倍政権になって若者の就職率が良くなりました。少し未来が見えてきたのです。安倍首相は「政治は現実なんだ!」と述べております。目標を高くしたイデオロギーで「観念」だけを言い続ける共産党と公明党には、この若者の現実主義がキャッチアップされていません。
つまりこれからの右と左は、、フランス革命の議席の位置ではなく、右脳と左脳のどちらで考えているのか、そういうことになるのではないでしょうか。
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