癌などの遺伝子異常に効果があると思われるオートファジー現象の解明。それに果敢に挑んだ東京工業大学の大隅良典教授が、ノーベル生理学賞を受賞しました。
このところ自然科学分野で日本人のノーベル賞受賞が相次いでおります。
日本を野蛮国として、日本人よりも優れているはずのアジア民族である韓国人と華人。なんとしても華夷秩序を正当化したい中華と韓国は、邪馬台国の蛮人がなぜノーベル賞を多くとれるのか不思議なようですね。
きっと「ヘブライ系の謀略」だとでも思っていることでしょう。
華人の中華思想や、韓国の事大主義には絶対に理解できないでしょう。それは、その根本に「大和魂」があるからです。
大隅教授は東大で博士課程を修了した直後の1974年、米ロックフェラー大学に留学。細胞の抗体分子の構造解析でノーベル賞をとったジェラルド・エーデルマン教授のもとで、大腸菌を使って免疫学の研究を行う予定でした。
ところがエーデルマン教授が突然「発生生物学」に転身してしまい、大隅氏の研究は宙に浮いてしまったとか。どうしていいかわからず、やっと思いついたのが「酵母を使った細胞増殖の制御機構の研究」だったそうです。
まだ誰もやっていない未知の分野で、細胞の活動を個体レベルでなく、分子レベルで見つめることを始め、1977年に帰国、東大理学部の植物学教室の助手として働きながら酵母の研究を続け、細胞内の浸透圧調節や老廃物の貯蔵・分解を担う「液胞」をテーマにした研究に集約していきます。
誰もやっていない研究。その頃は、液胞は細胞内のごみため程度にしか思われていなかったのだそうです。大隅氏は「でも、かえってそこから何か見つけられたら面白いと思った」と述べております。
こうして目立たない研究が始まり、やがてそれが飢餓を乗り切る細胞の働きの研究となり、酵母が飢餓状態に置かれると液胞に物質が取り込まれ、分解される自食作用「オートファジー」を世界で初めて確認することに成功したのです。
それから28年、今では世界中で研究が行われ、医療を中心にさまざまな分野への応用が模索されていて、大隅教授の論文がほとんどの研究者の間で参照されているわけです。
誰もが目をつけない研究対象で画期的な発見をすることは、あの高輝度LEDを作った中村修二博士も同じでした。
LEDの初期、青色だけが発光しないためにLEDを画像パネルにできませんでした。何とか青色の発光を得ようと世界中の研究者が取り組んでいたのです。
当時は研究会などではセレン系に注目が集まっていて、ガリウムは論外に置かれていたそうです。中村氏はこのガリウムに目をつけ、扱いにくいガリウムの結晶と格闘、そして窒化ガリウムが高輝度青色発光を起こすことを突き止め、ついに高輝度発光LEDを開発しノーベル物理学賞を受賞したのです。
(青色は黄色の発光LEDと混ぜることで白色光になるわけです。)
この「誰もやったことのない未知の分野」への挑戦こそが「大和魂」なのです。成功者だけを見れば英雄的行為に見えますが、人生をかけて行った研究が、ついに日の目を見ることなく消えていくことも多いはずです。
成功率など1%もないと思います。それでもあとからあとから、研究者たちは果敢に挑むわけです。その死屍累々たる荒野に挑むことこそが「大和魂」だからです。
しかも、研究者たちは成功しても有頂天にならず、その論文をしっかりと後継の研究者に残していく。これが「大和魂」であり「粋」であり、すなわち「クールジャパン」なのです。このようなことを「かっこいい」とする日本の美意識なのです。
「それで何か自分自身の利益になるのか」と考えるのが華人であり韓国人なのです。ここに彼らがノーベル賞にはなかなか届かない理由があるのではないかと思います。
中村氏は、その後アメリカの大学のオファーを受け渡米、そのため中村氏が務めていた日亜化学から営業秘密漏洩の疑いで訴訟されたり、中村氏は発明の対価を支払えと日亜化学を訴えたりと泥仕合が続きますが、まあアメリカの価値観での闘争と言うことでしょうね。
中共は新京報(電子版)で大隅氏の受賞を紹介し、「ここ数年、日本の科学者によるノーベル賞受賞が続出している。どんな秘密があるのだろうか」などと述べているそうです。
韓国では一つの分野に没頭する「オタク文化」の存在を挙げ、「政策や文化といったさまざまな側面の結晶だといえる」と述べているそうです。
しかし、ここで彼らに見えていないのは、「おおやけに尽くす」という概念なのではないでしょうか。それは大和魂の構成要素の一つですからね。
それを秘密と感じる華人の心根がよく出ていますね。また、一つの分野に没頭することを「オタク文化」などと軽くしか見えない韓国人にも、事大主義から抜けられない幼児性を感じます。
ノーベル財団には数多くのノーベル賞候補の論文が集まることでしょう。それらの論文を精査すれば、参考論文が羅列されています。
その参考論文の中に、基礎研究のユニークなものがあって、それが賞をとっていなければ、それを参考した論文に賞を与えることは出来ないわけです。
中村博士も大隅教授も、だからこそノーベル賞を取れたのだと思います。
敗戦国・日本の湯川秀樹博士が原子物理学分野の「中間子論」でノーベル賞を取れたのも、原子物理学の多くの論文が湯川氏の「中間子論」を参照していたからですね。
中共は量子通信の実験衛星を打ち上げました。量子通信はまだ基礎理論が出来ていません。その研究論文を華人が出すことが出来るのでしょうか。
それを他民族に任せるようなら、華人にノーベル賞は取れないでしょうね。
日本を野蛮国として、日本人よりも優れているはずのアジア民族である韓国人と華人。なんとしても華夷秩序を正当化したい中華と韓国は、邪馬台国の蛮人がなぜノーベル賞を多くとれるのか不思議なようですね。
きっと「ヘブライ系の謀略」だとでも思っていることでしょう。
華人の中華思想や、韓国の事大主義には絶対に理解できないでしょう。それは、その根本に「大和魂」があるからです。
大隅教授は東大で博士課程を修了した直後の1974年、米ロックフェラー大学に留学。細胞の抗体分子の構造解析でノーベル賞をとったジェラルド・エーデルマン教授のもとで、大腸菌を使って免疫学の研究を行う予定でした。
ところがエーデルマン教授が突然「発生生物学」に転身してしまい、大隅氏の研究は宙に浮いてしまったとか。どうしていいかわからず、やっと思いついたのが「酵母を使った細胞増殖の制御機構の研究」だったそうです。
まだ誰もやっていない未知の分野で、細胞の活動を個体レベルでなく、分子レベルで見つめることを始め、1977年に帰国、東大理学部の植物学教室の助手として働きながら酵母の研究を続け、細胞内の浸透圧調節や老廃物の貯蔵・分解を担う「液胞」をテーマにした研究に集約していきます。
誰もやっていない研究。その頃は、液胞は細胞内のごみため程度にしか思われていなかったのだそうです。大隅氏は「でも、かえってそこから何か見つけられたら面白いと思った」と述べております。
こうして目立たない研究が始まり、やがてそれが飢餓を乗り切る細胞の働きの研究となり、酵母が飢餓状態に置かれると液胞に物質が取り込まれ、分解される自食作用「オートファジー」を世界で初めて確認することに成功したのです。
それから28年、今では世界中で研究が行われ、医療を中心にさまざまな分野への応用が模索されていて、大隅教授の論文がほとんどの研究者の間で参照されているわけです。
誰もが目をつけない研究対象で画期的な発見をすることは、あの高輝度LEDを作った中村修二博士も同じでした。
LEDの初期、青色だけが発光しないためにLEDを画像パネルにできませんでした。何とか青色の発光を得ようと世界中の研究者が取り組んでいたのです。
当時は研究会などではセレン系に注目が集まっていて、ガリウムは論外に置かれていたそうです。中村氏はこのガリウムに目をつけ、扱いにくいガリウムの結晶と格闘、そして窒化ガリウムが高輝度青色発光を起こすことを突き止め、ついに高輝度発光LEDを開発しノーベル物理学賞を受賞したのです。
(青色は黄色の発光LEDと混ぜることで白色光になるわけです。)
この「誰もやったことのない未知の分野」への挑戦こそが「大和魂」なのです。成功者だけを見れば英雄的行為に見えますが、人生をかけて行った研究が、ついに日の目を見ることなく消えていくことも多いはずです。
成功率など1%もないと思います。それでもあとからあとから、研究者たちは果敢に挑むわけです。その死屍累々たる荒野に挑むことこそが「大和魂」だからです。
しかも、研究者たちは成功しても有頂天にならず、その論文をしっかりと後継の研究者に残していく。これが「大和魂」であり「粋」であり、すなわち「クールジャパン」なのです。このようなことを「かっこいい」とする日本の美意識なのです。
「それで何か自分自身の利益になるのか」と考えるのが華人であり韓国人なのです。ここに彼らがノーベル賞にはなかなか届かない理由があるのではないかと思います。
中村氏は、その後アメリカの大学のオファーを受け渡米、そのため中村氏が務めていた日亜化学から営業秘密漏洩の疑いで訴訟されたり、中村氏は発明の対価を支払えと日亜化学を訴えたりと泥仕合が続きますが、まあアメリカの価値観での闘争と言うことでしょうね。
中共は新京報(電子版)で大隅氏の受賞を紹介し、「ここ数年、日本の科学者によるノーベル賞受賞が続出している。どんな秘密があるのだろうか」などと述べているそうです。
韓国では一つの分野に没頭する「オタク文化」の存在を挙げ、「政策や文化といったさまざまな側面の結晶だといえる」と述べているそうです。
しかし、ここで彼らに見えていないのは、「おおやけに尽くす」という概念なのではないでしょうか。それは大和魂の構成要素の一つですからね。
それを秘密と感じる華人の心根がよく出ていますね。また、一つの分野に没頭することを「オタク文化」などと軽くしか見えない韓国人にも、事大主義から抜けられない幼児性を感じます。
ノーベル財団には数多くのノーベル賞候補の論文が集まることでしょう。それらの論文を精査すれば、参考論文が羅列されています。
その参考論文の中に、基礎研究のユニークなものがあって、それが賞をとっていなければ、それを参考した論文に賞を与えることは出来ないわけです。
中村博士も大隅教授も、だからこそノーベル賞を取れたのだと思います。
敗戦国・日本の湯川秀樹博士が原子物理学分野の「中間子論」でノーベル賞を取れたのも、原子物理学の多くの論文が湯川氏の「中間子論」を参照していたからですね。
中共は量子通信の実験衛星を打ち上げました。量子通信はまだ基礎理論が出来ていません。その研究論文を華人が出すことが出来るのでしょうか。
それを他民族に任せるようなら、華人にノーベル賞は取れないでしょうね。
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