2016年5月12日木曜日

新聞時代の終り・押し紙問題

「押し紙」とは、零細な新聞販売店のテリトリーに配達する新聞部数を超えて、売れないことが解っている部数を押し付けることです。
もちろん無料ではありません。販売店に新聞社から代金は請求されます。
そして結局は、その「押し紙」はそのまま廃棄処分にされるわけです。新聞全盛の頃は押し紙の部数は少なく、また販売店側も店の前などで販売しておりました。
しかし時代とともに新聞購読者数が減り始め、新聞社存続の為にこの押し紙部数も増えて行ったようです。

あまりにも多すぎる押し紙に対して、販売店が押し紙を減らすように言うと、「そんなことを言うと新聞の供給を止めるぞ」などという脅しが入るわけで、新聞を商って生活している販売店は黙らざるを得なかったと言うことです。
この「押し紙問題」は当然のことながら新聞記事にはなりません。ですから国民はこれまであまり知りませんでした。

朝日新聞が従軍慰安婦の吉田清治氏の書いた記事を「嘘」としたことから、朝日新聞社の「虚妄体質」が表面化し、購読者数が急激に減ったことを週刊新潮などが記事にして、そこから押し紙の実態が見えてきたようですね。

それでも押し紙の実態はまだはっきりしておりません。なぜなら、発行部数の欺瞞性があるからです。
朝日新聞の発行部数は、700万部と言うことですが、実際は500万部だとか、激減して400万部くらいになっているとか、280万部だとかの噂もあります。

新聞社が発行部数を水増しするのは。その数値と広告料の関係があるからです。新聞広告の代金は、発行部数が多いと高くできます。ですから少しでも発行部数を多くしようと新聞各社は躍起になるわけです。
しかし、あまりにも実態とかけ離れてくると、それは詐欺行為になるのではないでしょうか。

新聞販売店の新聞仕入れ価格もよく判りませんね。あの新聞配達という仕事が、どのくらい利幅を持っているのかご存じの方が居りましたら教えて欲しいのですが。
販売店も販売数量によって折り込み広告の収入が違ってくるはずです。
そしてこの折り込み広告(チラシ)の効果もかなりあるそうです。近所のスーパーマーケットのチラシは毎日見て、なにが安売りになったか、そういう情報を読者は待っているのだとか。

このようなビジネスモデルが新聞時代でした。いかにも新聞社が上に居て我々の生活に影響していた状況が見えてきますね。
しかしインターネットの登場で、このモデルが少しづつ変わってきました。ネット内に表示される新聞記事を、通勤途上の電車の中で、スマホで見る情景が増えるにつれて、電車内で新聞を読んでいる人がどれだけ減ったかを見れば判りますよね。つまりそれだけ発行部数は間違いなく減っているのでしょう。

新聞社側も、産経を除きネットの記事は有料化しつつあります。おそらくこうして収益のポイントは紙から電子媒体に変わって行くのでしょう。
同じ現象はテレビにも表れています。テレビを視聴している世代は40台より上で、若い世代ほどテレビ離れが進んでいるとか。

このような変化の中で起きている押し紙問題だと考えた方がいいでしょう。
このような発行部数詐称は、発行部数で広告費などの価格設定がなされるビジネスモデルに問題があると思うのです。
インターネットと紙の新聞を抱き合わせて、読者の総合を評価ポイントにしないと、これからは紙の新聞はどんどん減少していくような気がします。

そして、紙の新聞に入れられるチラシは、マーケットへの集客効果が決め手ですが、ネットの広告はその場でのクリック通販が決め手なのです。
これをどのように並列評価するかが新たなビジネスモデルへの展開となるように思います。
ちなみにテレビのショッピングは電話注文形式の通販となっていますね。

この収益構造をいかに構築するかが、新聞ビジネスの新たなテーマになるように思います。
ニュースは我々にとって必要だからです。しかしニュースはネットで報じられれば収益が得られないでしょう。契約で有料化されたニュースは嫌われて、無料のニュースがアクセスされるでしょうから。

国会での審議はすでにインターネットで中継録画が誰でも見られるようになっております。省庁の発表する資料もネットで公開されています。
これらを評価する専門家も、各自のサイトで独自の見解をネット公開することが出来ます。
昔と違って、新聞記者しか一次情報に近寄れなかった時代とは変わって、誰でも操作を厭わなければアクセス可能な時代になってきたことが、新聞やテレビの位置づけを変えてきております。

新聞の誤報や捏造記事は、すぐにネット上で叩かれ始めます。これまでの紙や電波と違ってネットは双方向性を持つメディアなのですから。

このように情報分野のビジネスは「激変」しております。その中での「押し紙問題」なのですが、一種の既得権にしがみつくビジネスが、終焉を迎えているような、そんな気がしてなりません。

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