日露交渉を行うべく、年内に来日が予定されていたプーチン大統領は、安倍首相とトルコのアンタルヤで会談し、年内の訪日予定を「最も適切な時期」として事実上キャンセルいたしました。
ただ、領土問題の解決を目指し、対話を継続する重要性では認識を共有したそうです。
現在、北方領土問題は日露間で平成25年4月に出された共同声明が生きていて、そこでは「双方が受け入れ可能な解決策」を作成することになっているようです。
日本の主張は「北方領土を固有の領土として解決を求める」ということですが、それに対して、ロシア側は「北方領土は先の大戦の結果、自国領になったとして問題は解決済み」という立場を取っています。
日本とロシアの見解の違いは、北方領土は千島列島に含まれるか否かにあります。
つまり、1951年9月のサンフランシスコ条約では、日本がポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄させられています。
ロシアはホップ領土は千島列島の一部という立場であり、日本は北方領土は千島列島に含まれないという立場です。
では、国際的にどう見たら良いのでしょうか。
重要なのは、日露戦争で日本が獲得した千島列島とは、「ポーツマス条約」の中に明確に書かれており、シュムシュ島からウルップ島までの18の島の名前が列挙されております。そしてそこには国後、択捉、歯舞、色丹の4島の名前は入っておりません。
つまり、この北方4島はポーツマス条約の時点でも日本領土と言うことになっていたことを暗に表明しているわけです。
なぜウルップ島までかと言うと、江戸時代の安政元年(1855年)に結ばれた「日露通好条約」での国境線設定時に、ウルップ島より北につらなる千島列島はロシア領と定められ、択捉、国後、色丹、歯舞の四島は日本の領土とされたのです。地図で見ても、択捉島からウルップ島までが少し離れていますからね。
その後、1875年には日本とロシアの間で「樺太千島交換条約」を結び、樺太全島をロシアに渡して、千島列島、すなわちウルップ島からシュムシュ島までを千島列島として日本が譲り受ける条約を結んでいます。
そして日露戦争後はポーツマス条約で南樺太が日本領となったわけです。
その後ロシアはソビエト連邦となって共産主義国となり、日本に対して連合国として敵対します。しかし日ソ中立条約が締結されていますから、第二次世界大戦中は日本はソビエトとの交戦はないわけでした。
ソビエトの敵はナチス・ドイツで、ソビエトも日本に構っている余裕はなかったからでしょう。
ところが、ナチスドイツが降伏し、敵が日本だけとなると今度は日本の領土的野心をもって対日参戦を決定します。
それまで太平洋で日本と戦い、多くの犠牲を出しながらも硫黄島を攻略し、そして沖縄を攻略してきたアメリカにとって、勝利を目前にして日本を取りに来たソビエト連邦を非常に警戒します。
ところが、こともあろうにそのソビエトに講和の仲立ちをさせようとしている日本政府があったのです。早く日本を降伏させないとソビエトが領土主張を始めることを感じたアメリカが、ついに原爆投下を決定します。
広島と長崎に原爆が落とされ、遂に日本はポツダム宣言を受託、戦争が終結に向かいます。
慌てたソビエトは、8月15日で日本軍が戦闘行動を停止した後、突然襲い掛かってきます。樺太北部から、そしてシュムシュ島へ・・・
南樺太の悲劇は、真岡郵便局の若き女性の電話交換手が集団自決し、9名が死亡したた事件が有名です。また、シュムシュ島の戦いは、元虫プロの演出家で洋画家(油絵)の青木磐氏が書かれた「占守島の戦い」という本などで有名です。
8月15日を過ぎてからの攻撃に日本国民はソビエトとその後のロシアへの許すことの出来ない怒りを持っております。これは日本国民にとって、「戦争だから仕方がない」とは思えない事件なのです。
サンフランシスコ条約にはソビエトは参加していません。すでに東西冷戦が始まっていたのでしょうね。しかし連合国として、ここで決まった条約には追認することが決まっております。
即ち、いくらロシアが「問題は解決済み」と言ったとしても、どこで解決したのか、それは不明確です。おそらく連合国側の内部だけで決めたのではないでしょうか。そしてそこにはアングロサクソンの「不明瞭にして対立させる」という謀略も見え隠れします。
日露両政府の次官級協議が10月に再開されたことで、プーチン大統領は「お互いの立場を理解する上で実りある話ができた」と評価しております。
これに対し安倍首相は、「日露関係を前に動かすために重要なことは2人で話し合うことだ」と述べ、首脳同士の対話を重ねることを強調したようです。
欧米の「労働忌避者」たちが、より多くの金利を求めて、世界を混乱に陥れているように見えます。国家という構成を明確にして、国民経済をしっかりさせることこそが人類の発展に繋がります。
くれぐれも「労働忌避者」の謀略に乗らないようにして、首脳会談を続けてほしいですね。
現在、北方領土問題は日露間で平成25年4月に出された共同声明が生きていて、そこでは「双方が受け入れ可能な解決策」を作成することになっているようです。
日本の主張は「北方領土を固有の領土として解決を求める」ということですが、それに対して、ロシア側は「北方領土は先の大戦の結果、自国領になったとして問題は解決済み」という立場を取っています。
日本とロシアの見解の違いは、北方領土は千島列島に含まれるか否かにあります。
つまり、1951年9月のサンフランシスコ条約では、日本がポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄させられています。
ロシアはホップ領土は千島列島の一部という立場であり、日本は北方領土は千島列島に含まれないという立場です。
では、国際的にどう見たら良いのでしょうか。
重要なのは、日露戦争で日本が獲得した千島列島とは、「ポーツマス条約」の中に明確に書かれており、シュムシュ島からウルップ島までの18の島の名前が列挙されております。そしてそこには国後、択捉、歯舞、色丹の4島の名前は入っておりません。
つまり、この北方4島はポーツマス条約の時点でも日本領土と言うことになっていたことを暗に表明しているわけです。
なぜウルップ島までかと言うと、江戸時代の安政元年(1855年)に結ばれた「日露通好条約」での国境線設定時に、ウルップ島より北につらなる千島列島はロシア領と定められ、択捉、国後、色丹、歯舞の四島は日本の領土とされたのです。地図で見ても、択捉島からウルップ島までが少し離れていますからね。
その後、1875年には日本とロシアの間で「樺太千島交換条約」を結び、樺太全島をロシアに渡して、千島列島、すなわちウルップ島からシュムシュ島までを千島列島として日本が譲り受ける条約を結んでいます。
そして日露戦争後はポーツマス条約で南樺太が日本領となったわけです。
その後ロシアはソビエト連邦となって共産主義国となり、日本に対して連合国として敵対します。しかし日ソ中立条約が締結されていますから、第二次世界大戦中は日本はソビエトとの交戦はないわけでした。
ソビエトの敵はナチス・ドイツで、ソビエトも日本に構っている余裕はなかったからでしょう。
ところが、ナチスドイツが降伏し、敵が日本だけとなると今度は日本の領土的野心をもって対日参戦を決定します。
それまで太平洋で日本と戦い、多くの犠牲を出しながらも硫黄島を攻略し、そして沖縄を攻略してきたアメリカにとって、勝利を目前にして日本を取りに来たソビエト連邦を非常に警戒します。
ところが、こともあろうにそのソビエトに講和の仲立ちをさせようとしている日本政府があったのです。早く日本を降伏させないとソビエトが領土主張を始めることを感じたアメリカが、ついに原爆投下を決定します。
広島と長崎に原爆が落とされ、遂に日本はポツダム宣言を受託、戦争が終結に向かいます。
慌てたソビエトは、8月15日で日本軍が戦闘行動を停止した後、突然襲い掛かってきます。樺太北部から、そしてシュムシュ島へ・・・
南樺太の悲劇は、真岡郵便局の若き女性の電話交換手が集団自決し、9名が死亡したた事件が有名です。また、シュムシュ島の戦いは、元虫プロの演出家で洋画家(油絵)の青木磐氏が書かれた「占守島の戦い」という本などで有名です。
8月15日を過ぎてからの攻撃に日本国民はソビエトとその後のロシアへの許すことの出来ない怒りを持っております。これは日本国民にとって、「戦争だから仕方がない」とは思えない事件なのです。
サンフランシスコ条約にはソビエトは参加していません。すでに東西冷戦が始まっていたのでしょうね。しかし連合国として、ここで決まった条約には追認することが決まっております。
即ち、いくらロシアが「問題は解決済み」と言ったとしても、どこで解決したのか、それは不明確です。おそらく連合国側の内部だけで決めたのではないでしょうか。そしてそこにはアングロサクソンの「不明瞭にして対立させる」という謀略も見え隠れします。
日露両政府の次官級協議が10月に再開されたことで、プーチン大統領は「お互いの立場を理解する上で実りある話ができた」と評価しております。
これに対し安倍首相は、「日露関係を前に動かすために重要なことは2人で話し合うことだ」と述べ、首脳同士の対話を重ねることを強調したようです。
欧米の「労働忌避者」たちが、より多くの金利を求めて、世界を混乱に陥れているように見えます。国家という構成を明確にして、国民経済をしっかりさせることこそが人類の発展に繋がります。
くれぐれも「労働忌避者」の謀略に乗らないようにして、首脳会談を続けてほしいですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿