産業革命以来、近代化と称する波が世界を覆い、モダニズムというデザインが常識となった今、墓場のような矩形の高層ビルディングが立ち並ぶ都会です。
しかし、産業というライフスタイルに陰りが見え始め、自我実現の欲求を満たす時代が始まったようです。
このような社会の経済システムがどうなって行くのか、生産と消費のバランスがどうなっていくのか、それはまだ不明確で、決定的なものはありません。ネット販売やネット決済がその黎明期を飾っているようです。
このようなポスト産業社会に向けて、過去を呼び戻すことから始めるムーブメントが始まったようです。墓標のような建築の中に、むかしのお城を再建する活動が少し前から始まりました。
2004年、愛媛県、肱川の河畔に望む大洲城が再建されました。鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城され、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築されたという大洲城。
明治維新後に破壊され、かろうじて残っていた天守閣も1888年に老朽化によって取り壊されたのです。
その大洲城が再び再建され、今は観光資源となっていますが、そこには城郭建築特有の迫力ある木組を見ることが出来ます。
1487年に今川義忠が重臣の朝比奈泰煕に命じて築城した掛川城も、1994年4月に 天守が再建されています。
そして名古屋城の復元工事もすでに始まっていて、その様子はいつでもライブカメラで見ることができるということです。
http://www.hommaru-palace-jv.com/camera/index.php
そして今、江戸城再建の動きが始まっています。みんなの党の参院議員、松沢成文氏が先頭に立って「江戸城天守閣」を復元して東京観光の目玉を造ろうという運動しています。
江戸城・天守閣は、5代将軍・徳川綱吉の時代に、おそらく「生類哀れみの法」に反発する反乱分子が起こした火つけ事件(明暦の大火・1657年)で消失しております。
8代将軍吉宗はこれを内乱とせず、あくまでも犯罪者による火つけとして、その後「火つけ盗賊改め」という役職を設けたり、町火消しのシステムを構築させたり、江戸の安全保障に力を注ぎましたが、天守閣の再興は一切行いませんでした。(これをこれからアメリカが真似るようですね。戦争仕掛け人を犯罪者として取り扱うようにすることで)
しかし、江戸城天守閣の設計図は今も残っています。たしか御本丸寛永度絵図というものが東京都立図書館にデジタルデータとして保管され、だれでもアクセス可能です。
ですから材料もどうしたらよいかが判っていて、図面もありますので、これを再興すると当時の職人の技も判るというものですね。
さらにNPO法人「江戸城天守を再建する会」もあるそうで、そこで作ったCGによる「再建された江戸城天守閣」というものもありました。
https://www.youtube.com/watch?v=GdDWK-rgQU8
「江戸城天守を再建する会」では常時会員を募集中で、年会費1万円で、入会金が3000円だそうです。
この会の目的は、「1657年の明暦の大火により失われた江戸城の再建を目指し、調査研究、広報等の事業を行い、もって魅力ある東京の国際的な観光交流都市形成に寄与すること」ですから、ほかの歴史研究会よりも面白そうですね。
現在は、2020年の東京オリンピックまでに再建するという目標があるのだそうです。
しかし、この江戸城再建はそう簡単にはいきません。先ずは建築基準法の壁。木造建築は3階までしか認めていない法律がありますが、江戸城は「5層6階」ですから引っかかります。さらに耐火耐震基準をクリアするためには実証試験を行わなければならず、その費用は莫大なものになるとか。
そして肝心な点は、あのお城は天皇陛下のお住まいであって、皇居の安全確保が優先されるという点です。
天守台は皇居内東御苑内になるために、もし天守閣が完成して観光客が両陛下を見下ろすことになりにでもすれば「不敬にあたる」という声も上がるのは必至。
「江戸城天守を再建する会」では、この点を「もともと江戸時代も将軍の住む大奥がある南側と、引退された将軍やご一族が住まれた(現在の皇居がある)西の丸を見下ろす西側は、1階から5階まで、すべての窓が閉められており、その伝統に則るなら、当然、現在の天守台の西側にある天皇陛下お住まいの御所や宮殿を見下ろすことにはなりません」として再建を訴えておりますが、いかがなものでしょうか。
さらに「天守閣復元は、歴史上の出来事を現代の判断で勝手に覆していいのか」という歴史学者などからの指摘です。
将軍後見役の保科正之が、明暦の大火で焼け野原と化した江戸の復興を優先させるべきだと献策し、幕府の財政難などもあって天守閣が再建されてこなかったことは、歴史的事実です。
そこに「東京に江戸をしのばせる観光拠点がない」からといって、歴史的事実と異なる建物を安易に建てていいのかという指摘はなかなかどうして強い説得力があるわけですね。
結局は現在の皇居に再建することはあきらめて、小金井の「江戸東京たてもの園」などに建てることを考えるしかないのかも知れませんね。
このような社会の経済システムがどうなって行くのか、生産と消費のバランスがどうなっていくのか、それはまだ不明確で、決定的なものはありません。ネット販売やネット決済がその黎明期を飾っているようです。
このようなポスト産業社会に向けて、過去を呼び戻すことから始めるムーブメントが始まったようです。墓標のような建築の中に、むかしのお城を再建する活動が少し前から始まりました。
2004年、愛媛県、肱川の河畔に望む大洲城が再建されました。鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城され、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築されたという大洲城。
明治維新後に破壊され、かろうじて残っていた天守閣も1888年に老朽化によって取り壊されたのです。
その大洲城が再び再建され、今は観光資源となっていますが、そこには城郭建築特有の迫力ある木組を見ることが出来ます。
1487年に今川義忠が重臣の朝比奈泰煕に命じて築城した掛川城も、1994年4月に 天守が再建されています。
そして名古屋城の復元工事もすでに始まっていて、その様子はいつでもライブカメラで見ることができるということです。
http://www.hommaru-palace-jv.com/camera/index.php
そして今、江戸城再建の動きが始まっています。みんなの党の参院議員、松沢成文氏が先頭に立って「江戸城天守閣」を復元して東京観光の目玉を造ろうという運動しています。
江戸城・天守閣は、5代将軍・徳川綱吉の時代に、おそらく「生類哀れみの法」に反発する反乱分子が起こした火つけ事件(明暦の大火・1657年)で消失しております。
8代将軍吉宗はこれを内乱とせず、あくまでも犯罪者による火つけとして、その後「火つけ盗賊改め」という役職を設けたり、町火消しのシステムを構築させたり、江戸の安全保障に力を注ぎましたが、天守閣の再興は一切行いませんでした。(これをこれからアメリカが真似るようですね。戦争仕掛け人を犯罪者として取り扱うようにすることで)
しかし、江戸城天守閣の設計図は今も残っています。たしか御本丸寛永度絵図というものが東京都立図書館にデジタルデータとして保管され、だれでもアクセス可能です。
ですから材料もどうしたらよいかが判っていて、図面もありますので、これを再興すると当時の職人の技も判るというものですね。
さらにNPO法人「江戸城天守を再建する会」もあるそうで、そこで作ったCGによる「再建された江戸城天守閣」というものもありました。
https://www.youtube.com/watch?v=GdDWK-rgQU8
「江戸城天守を再建する会」では常時会員を募集中で、年会費1万円で、入会金が3000円だそうです。
この会の目的は、「1657年の明暦の大火により失われた江戸城の再建を目指し、調査研究、広報等の事業を行い、もって魅力ある東京の国際的な観光交流都市形成に寄与すること」ですから、ほかの歴史研究会よりも面白そうですね。
現在は、2020年の東京オリンピックまでに再建するという目標があるのだそうです。
しかし、この江戸城再建はそう簡単にはいきません。先ずは建築基準法の壁。木造建築は3階までしか認めていない法律がありますが、江戸城は「5層6階」ですから引っかかります。さらに耐火耐震基準をクリアするためには実証試験を行わなければならず、その費用は莫大なものになるとか。
そして肝心な点は、あのお城は天皇陛下のお住まいであって、皇居の安全確保が優先されるという点です。
天守台は皇居内東御苑内になるために、もし天守閣が完成して観光客が両陛下を見下ろすことになりにでもすれば「不敬にあたる」という声も上がるのは必至。
「江戸城天守を再建する会」では、この点を「もともと江戸時代も将軍の住む大奥がある南側と、引退された将軍やご一族が住まれた(現在の皇居がある)西の丸を見下ろす西側は、1階から5階まで、すべての窓が閉められており、その伝統に則るなら、当然、現在の天守台の西側にある天皇陛下お住まいの御所や宮殿を見下ろすことにはなりません」として再建を訴えておりますが、いかがなものでしょうか。
さらに「天守閣復元は、歴史上の出来事を現代の判断で勝手に覆していいのか」という歴史学者などからの指摘です。
将軍後見役の保科正之が、明暦の大火で焼け野原と化した江戸の復興を優先させるべきだと献策し、幕府の財政難などもあって天守閣が再建されてこなかったことは、歴史的事実です。
そこに「東京に江戸をしのばせる観光拠点がない」からといって、歴史的事実と異なる建物を安易に建てていいのかという指摘はなかなかどうして強い説得力があるわけですね。
結局は現在の皇居に再建することはあきらめて、小金井の「江戸東京たてもの園」などに建てることを考えるしかないのかも知れませんね。
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