安倍首相が、ダボス会議で靖国神社参拝を説明しました。
「国のために戦った方々に祈りをささげるのは、世界のリーダーに共通する姿勢と同じだ。再び戦争の惨禍で人々が苦しむことのないよう不戦の誓いをした」と述べ、その上で「靖国神社には(世界的に)大変な誤解がある」として、明治維新からの靖国神社の経緯を説明したようです。
しかし、日本の歴史などにあまり関心のない欧州の政治家達は、自分たちキリスト教文化の範疇でしか判断できません。
キリスト教は一神教で、しかも抽象神です。しかし日本は多神教で、ゴッドではなくスピリットになります。
キリスト教は「父と子と聖霊」という3部構成ですが、これでは一神教にならないので、「三位一体」という概念を作り出し、論理上の整合性を取ったと言われています。
父がゴッド(唯一神で人格神)であり、子がイエスキリスト、そして精霊はスピリットと訳されます。
仏教ですと、ゴッドは無限の時空を満たす「法(ダルマ)」と言うことになり、子(キリスト)に対するものは無く、聖霊(スピリット)は「仏性」ということになるのだと思います。
この世の全ての物質は、法が具体的に結実したものであり、それを「法の華」すなわち「法華(ほっけ)」というのでしょう。そしてそれはやがては「無」に帰すというわけです。
我が国の「神道」ではどうなっているのでしょうか?
この世の森羅万象が「神の技」という概念ですが、この神は八百万の神で唯一神ではありません。この多くの神の振舞が、我々に「実り」もくれるし「災い」もくれるという概念だと思います。そしてすべての神が人格神(スピリット)ですね。
これらの神々と交信出来るのが、天皇というポジションなのです。どうやって交信するかというと、それぞれの神はあるタイミングで人間界にやってくるわけです。そのタイミングに合わせて祭を執り行うという方法で交信するわけです。そしてこのタイミングを表記したものが「こよみ」と言うわけです。
この「こよみ」は、太古の昔からの経験則で作られたもので、例えばこの「こよみ」に合わせて種を撒き、「こよみ」に合わせて収穫するとうまく行く・・という訳です。
この実利的なところが神道の特徴で、要は「実践」なのであって、「理屈」ではないのです。
この天皇というポジションを、「万世一系天皇の系譜」として固定化したのが聖徳太子で、男子継承を定めとしたのは、争いなどで崩れることを防止するためだと思います。この時代、一般の家督相続は女性が中心だったはずですからね。
この天皇というポジションは、人間と神との境目を意味し、人間界のルーツ(根っこ)に当たるのだと思います。そして臣民はリーフ(葉っぱ)であり、ルーツはリーフの全てに対して思いを致し(おおみごころ)、リーフは常にルーツに感謝しながら、ルーツのために散っていく存在(おおみたから)ということなのでしょうか?
幹に当たるところが、「万世一系」という表現なのかもしれませんね。
そして靖国神社は、あの時あまりにも多くの若いリーフ(若葉)が散ってしまったことへの陛下の狼狽が作らせたもの。あの時とは「明治維新」であり、欧米から取り寄せられた兵器の殺傷力のものすごさが、戦争の概念を変えてしまったためです。陛下とは明治天皇です。
招魂社として作られた神社は、その後、日清・日露の戦没者もお祭りし、靖国神社と名を改めます。
ポトマック川のほとりに作られた「アーリントン墓地」も、南北戦争で散った兵士達のあまりの多さに驚いたことから作られたもので、靖国神社と動機は同じ(近代兵器が原因)だったと記憶します。
近代兵器の殺傷力のひどさを、端的に表現した人が居ます。ドイツの撃墜王レッドバロンです。最後に彼は「これは何なんだ、こんなのは戦争じゃない・・単なる殺し合いだ・・」と叫びます。この意味、解りますよね。
さて、ここまで説明してもキリスト教文化には理解しえないかも知れませんね。
「神道」の持つ価値観が、「実践」にあって「理屈」ではないところから、説明することが難しいのです。
一神教の「上から目線」で多神教を見るわけですから、靖国神社を理解するのは難しいでしょう。なにしろ向こうは、「イエスキリストがなぜ死んだのか」をこねくり回して言い訳することで論理学を展開したわけですからね。結局、自分たちの理解不足がキリストを磔刑にしたんでしょ・・・
理解出来ないことを良いことに、中韓両国が欧米人に日本を貶める言葉をふりかけます。おそらくやり方はキリストを磔刑にした時と同じではないでしょうか?
「戦後レジーム」という既得権を守りたい一心で、日本全体を「磔刑にしろ」と言うような・・・
しかし、日本の歴史などにあまり関心のない欧州の政治家達は、自分たちキリスト教文化の範疇でしか判断できません。
キリスト教は一神教で、しかも抽象神です。しかし日本は多神教で、ゴッドではなくスピリットになります。
キリスト教は「父と子と聖霊」という3部構成ですが、これでは一神教にならないので、「三位一体」という概念を作り出し、論理上の整合性を取ったと言われています。
父がゴッド(唯一神で人格神)であり、子がイエスキリスト、そして精霊はスピリットと訳されます。
仏教ですと、ゴッドは無限の時空を満たす「法(ダルマ)」と言うことになり、子(キリスト)に対するものは無く、聖霊(スピリット)は「仏性」ということになるのだと思います。
この世の全ての物質は、法が具体的に結実したものであり、それを「法の華」すなわち「法華(ほっけ)」というのでしょう。そしてそれはやがては「無」に帰すというわけです。
我が国の「神道」ではどうなっているのでしょうか?
この世の森羅万象が「神の技」という概念ですが、この神は八百万の神で唯一神ではありません。この多くの神の振舞が、我々に「実り」もくれるし「災い」もくれるという概念だと思います。そしてすべての神が人格神(スピリット)ですね。
これらの神々と交信出来るのが、天皇というポジションなのです。どうやって交信するかというと、それぞれの神はあるタイミングで人間界にやってくるわけです。そのタイミングに合わせて祭を執り行うという方法で交信するわけです。そしてこのタイミングを表記したものが「こよみ」と言うわけです。
この「こよみ」は、太古の昔からの経験則で作られたもので、例えばこの「こよみ」に合わせて種を撒き、「こよみ」に合わせて収穫するとうまく行く・・という訳です。
この実利的なところが神道の特徴で、要は「実践」なのであって、「理屈」ではないのです。
この天皇というポジションを、「万世一系天皇の系譜」として固定化したのが聖徳太子で、男子継承を定めとしたのは、争いなどで崩れることを防止するためだと思います。この時代、一般の家督相続は女性が中心だったはずですからね。
この天皇というポジションは、人間と神との境目を意味し、人間界のルーツ(根っこ)に当たるのだと思います。そして臣民はリーフ(葉っぱ)であり、ルーツはリーフの全てに対して思いを致し(おおみごころ)、リーフは常にルーツに感謝しながら、ルーツのために散っていく存在(おおみたから)ということなのでしょうか?
幹に当たるところが、「万世一系」という表現なのかもしれませんね。
そして靖国神社は、あの時あまりにも多くの若いリーフ(若葉)が散ってしまったことへの陛下の狼狽が作らせたもの。あの時とは「明治維新」であり、欧米から取り寄せられた兵器の殺傷力のものすごさが、戦争の概念を変えてしまったためです。陛下とは明治天皇です。
招魂社として作られた神社は、その後、日清・日露の戦没者もお祭りし、靖国神社と名を改めます。
ポトマック川のほとりに作られた「アーリントン墓地」も、南北戦争で散った兵士達のあまりの多さに驚いたことから作られたもので、靖国神社と動機は同じ(近代兵器が原因)だったと記憶します。
近代兵器の殺傷力のひどさを、端的に表現した人が居ます。ドイツの撃墜王レッドバロンです。最後に彼は「これは何なんだ、こんなのは戦争じゃない・・単なる殺し合いだ・・」と叫びます。この意味、解りますよね。
さて、ここまで説明してもキリスト教文化には理解しえないかも知れませんね。
「神道」の持つ価値観が、「実践」にあって「理屈」ではないところから、説明することが難しいのです。
一神教の「上から目線」で多神教を見るわけですから、靖国神社を理解するのは難しいでしょう。なにしろ向こうは、「イエスキリストがなぜ死んだのか」をこねくり回して言い訳することで論理学を展開したわけですからね。結局、自分たちの理解不足がキリストを磔刑にしたんでしょ・・・
理解出来ないことを良いことに、中韓両国が欧米人に日本を貶める言葉をふりかけます。おそらくやり方はキリストを磔刑にした時と同じではないでしょうか?
「戦後レジーム」という既得権を守りたい一心で、日本全体を「磔刑にしろ」と言うような・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿