帝国陸軍・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒・予備陸軍少尉・小野田寛郎(おのだひろお)氏が、2014年1月16日に死去されました。享年91歳でした。
1944年9月、中野学校の(軍歴を残さないため卒業ではなく)退校命令を受領し予備陸軍少尉に任官、小野田少尉は同11月にフィリピン第14方面軍情報部付となり現地に着任、第8師団参謀部付に配属されました。
そして師団長・横山静雄陸軍中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実をかじってでも部下の兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」との訓示を受けたとか。
この時、帝国陸軍情報部は、日本が占領された後も連合国軍と戦い続けるとの計画を立てており、その計画は小野田少尉にしっかりと伝えられていたということです。
1944年12月31日、小野田少尉はルパング島に着任、島内に居た日本軍の指揮権が小野田少尉には無いため山間部に籠り、長期持久体制の準備に努めます。
ルバング島は、フィリピンの首都マニラの位置するマニラ湾の出入口にあり、この付近からマニラを母港とする連合国軍艦船、航空機の状況が一目で分かるため、友軍来援時の情報提供を行うため、部下と共に遊撃戦を展開します。
1945年8月を過ぎても任務解除の命令は届かず、赤津勇一陸軍一等兵、島田庄一陸軍伍長、小塚金七陸軍上等兵とともに情報収集や諜報活動を続けることを決意します。
その後、1949年5月に赤津勇一陸軍一等兵が逃亡し、翌年6月に投降したため、小野田少尉ら3名の残留日本兵が存在することが判明し、捜索隊が組織されます。
アメリカはベトナム戦争を戦い始めますが、小野田少尉ら3名は「九九式短小銃」、「三八式歩兵銃」、「軍刀」を用いてアメリカ軍との戦闘を続け、島内にあったアメリカ軍レーダーサイトへの襲撃や狙撃、撹乱攻撃、放火戦術などを駆使し、合計百数十回もの戦闘を展開しました。
弾薬の不足分は、島内に遺棄された戦闘機用の7.7x58SR機関銃弾(薬莢がセミリムド型で交換の必要あり)を九九式実包の薬莢に移し替え、戦いを続けます。
戦い続けるための主な食糧は、野生牛を捕獲して乾燥肉にしたり、自生するヤシの実だったそうですが、良質の動物性タンパク質とビタミン、ミネラルを効率良く摂取していたことがわかります。小野田少尉ら3名は、究極のサバイバルをしながら日本のために戦い続けていたのです。
小野田少尉は、戦闘行為によって手に入れたトランジスタラジオを改造して短波受信機を作り、アメリカ軍基地の倉庫から奪取した金属製ワイヤーをアンテナに使って、独自で世界情勢を判断しつつ、友軍来援の時に備えたと言う事です。
フィリピン政府を「アメリカの傀儡」と解釈し、捜索隊が残した日本の新聞や雑誌で、皇太子ご成婚、東京オリンピックや東海道新幹線等の日本の情勢についてもかなり詳しく知っていたようですが、その日本はアメリカの傀儡政権であり、満州に亡命政権があると考えていたということです。
朝鮮戦争を「当初の予定通り亡命政権の反撃が開始された」と判断し、ベトナム戦争を「いよいよアメリカは日本に追い詰められた」と確信していたとか。
それは、戦前所属した諜報機関での作戦行動予定と、断片的に小野田少尉にもたらされる情報とが矛盾しなかったためだという事です。
小野田少尉は間違っていたと思いますか?
玉音放送の注意深い解釈と、その後のベトナム戦争終結までの30年間の日本を考えるとき、日本の経済復興は、それ自体がアメリカとの戦いであり、1975年のアメリカ軍のベトナムからの敗退を持って終結したとも考えられるのではないでしょうか?
日本の敗戦からの経済復興は、それ自体が日本国民のサバイバルであり、ベトナム戦争後、アメリカ経済は日本経済に追い詰められていったことも確かです。
帝国陸軍情報部が起てた「占領後も連合国軍と戦い続ける計画」は、満州に亡命政権を作る事が不可能になって修正がなされたものの、ほぼ計画どうりに行ったとの見方も出来ると思います。
帰国後の小野田少尉は、ブラジルに移住して小野田牧場を経営したり、日本を守る国民会議・日本会議代表委員等を歴任し、また社団法人日本緑十字社理事にも就任します。
慰安婦問題の全面撤回を求めるチャンネル桜主導の抗議書には小野田夫婦そろって賛同し、更迭された田母神俊雄元航空幕僚長を支持する「田母神論文と自衛官の名誉を考える会」には、発起人として妻と共に名を連ねているそうです。
ちなみに、中共のウエブサイトで小野田少尉が紹介された時、反日的な意見が多い当該サイトの書き込み欄で、「真の軍人だ」、「この兵士の精神を全世界が学ぶべきだ」、「大和民族は恐るべき民族。同時に尊敬すべき民族」などの賞賛する書き込みが多くあったとか。
中国人にも判る人たちが居るようですね。
最期まで日本を愛し、軍人としての生涯を終わった小野田少尉。ご冥福をお祈りいたします。
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