やっと「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(有識者会議)」の改正内容が見えてきました。この秋にも報告書としてまとめられる予定だと言うことです。
小松一郎内閣法制局長官も、この憲法解釈の変更を「内閣法制局としても積極的に参加する」と表明しました。
この改正内容を一言で言うと、「ポジティブリスト」から「ネガティブリスト」への転換・・と言うことになります。そうです、あの「頑張れ日本全国行動委員会」の田母神会長が主張していた転換が、今回の「改正の内容そのもの」と言うことになります。(世界の常識ですけどね)
これによって「集団的自衛権拒否」の縛りはなくなります。すなわち現場での自衛艦の判断に任されることになると言うことです。
緊急事態に遭遇した自衛官が「職務」を遂行した場合、それが「禁止事項」でない場合は正当と見做すわけです。そうしないと本当の意味での「防衛」は不可能だからです。
今までは「ポジティブリスト」でしたから、「容認事項」でない場合は何も出来ない自衛官だったわけですが、これで「防衛任務」で遭遇するあらゆる事態に対処することが、やっと可能になるわけですね。
もちろん、それによって危険度は高まります。判断を誤ると大変なことになりますからね。日頃の訓練がさらにきつくなるのでしょう。
これでサヨクが押し通していた危険きわまりない「シビリアンコントロール」は、無意味となります。「シビリアン」は常に事後報告を見て、その正当性を判断することになるからです。
「ネガティブリスト」には、国際法で禁じられている「市民への加害」「捕虜虐待」などが記述され、「防衛のための行動を細かく縛るべきではない」という国防の常識に準拠するようです。
集団的自衛権の解釈変更について、安倍政権はアメリカに説明に行くようです。何でわざわざ説明に行くのか、批判する方々も居ります。
この「集団的自衛権の拒否」は、日本がアメリカの戦争に巻き込まれないために作られたもので、日本国憲法を使って身勝手な解釈をしたもの。
アメリカにとっては、弱小国家だった頃の日本なら構わなかったでしょうが、すでに経済だけは大国になってしまった日本では、国際協調を乱すものにしか見えないでしょう。
ただアメリカにとって、日本が集団的自衛権を容認した場合、それが日本の軍事強化から軍事的独立という流れに向かうことだけは避けたい意向があり、そこで日本側から説明に行くということだと思います。
アメリカは日本の防衛体制をアメリカの防衛に連動させることで、日本の軍備をアメリカのために使いたい願望があるという論評があります。
しかし、集団的自衛は複数の国の利害が一致しなければ難しいわけで、そこで交渉が必要になるわけです。
「兵を出すから、経済問題のここは呑め!」とか「警備行動の負担を交互に行う変わりに・・・」などの交渉です。それが国際社会では普通のことであり、相手国が呑めるか呑めないかは、長い相手国の歴史を見て判断すべきもの。もちろん相手国の真意を推し量るためには、それなりのスパイ活動も必要になります。
日本の集団的自衛権の拒否は、このような交渉ごとから逃げられる要素もあって、それゆえに我が国の人的情報活動がお粗末になり、まったく相手国からバカにされる交渉を繰り返してきたわけです。
集団的自衛権の容認は、このような日本外交に渇を入れるチャンスでもあり、また同時に、スパイ防止法などの法整備を進める必要性が高まることでもあります。
冷戦時のように世界が単純な2勢力に別れていた時代ならともかく、アメリカの一国支配も終わった複雑な時代には、もはや交渉から逃げることは不可能です。
交渉の背景には軍事力があり、その軍事バランスを見極めるための情報収集活動があり、軍事バランスの崩れを補う集団的自衛の交渉があるわけです。
独立国家(主権国家)は、交渉において国家を代表する意識、すなわち国家観が確立していなければなりません。そうしないと相手国も何を交渉しているのかが判らなくなるからです。
軍事的交渉を避けて、経済的交渉だけを繰り返してきた経済大国が生き残ることは不可能です。それが人類の歴史であり、これからも変わることはないでしょう。
安倍内閣が行っていることは、国家のトップとして当然のことであり、それを「右傾化」とか「時代に逆行」などと批判するのは、戦後の「自虐のぬるま湯」への回帰に過ぎないのではないでしょうか。
まだこのような国民が多いのなら、憲法改正は先延ばしにした方が良いでしょう。現行憲法の解釈変更を進めて、「自虐のぬるま湯」から脱してからでも遅くはありません。
この改正内容を一言で言うと、「ポジティブリスト」から「ネガティブリスト」への転換・・と言うことになります。そうです、あの「頑張れ日本全国行動委員会」の田母神会長が主張していた転換が、今回の「改正の内容そのもの」と言うことになります。(世界の常識ですけどね)
これによって「集団的自衛権拒否」の縛りはなくなります。すなわち現場での自衛艦の判断に任されることになると言うことです。
緊急事態に遭遇した自衛官が「職務」を遂行した場合、それが「禁止事項」でない場合は正当と見做すわけです。そうしないと本当の意味での「防衛」は不可能だからです。
今までは「ポジティブリスト」でしたから、「容認事項」でない場合は何も出来ない自衛官だったわけですが、これで「防衛任務」で遭遇するあらゆる事態に対処することが、やっと可能になるわけですね。
もちろん、それによって危険度は高まります。判断を誤ると大変なことになりますからね。日頃の訓練がさらにきつくなるのでしょう。
これでサヨクが押し通していた危険きわまりない「シビリアンコントロール」は、無意味となります。「シビリアン」は常に事後報告を見て、その正当性を判断することになるからです。
「ネガティブリスト」には、国際法で禁じられている「市民への加害」「捕虜虐待」などが記述され、「防衛のための行動を細かく縛るべきではない」という国防の常識に準拠するようです。
集団的自衛権の解釈変更について、安倍政権はアメリカに説明に行くようです。何でわざわざ説明に行くのか、批判する方々も居ります。
この「集団的自衛権の拒否」は、日本がアメリカの戦争に巻き込まれないために作られたもので、日本国憲法を使って身勝手な解釈をしたもの。
アメリカにとっては、弱小国家だった頃の日本なら構わなかったでしょうが、すでに経済だけは大国になってしまった日本では、国際協調を乱すものにしか見えないでしょう。
ただアメリカにとって、日本が集団的自衛権を容認した場合、それが日本の軍事強化から軍事的独立という流れに向かうことだけは避けたい意向があり、そこで日本側から説明に行くということだと思います。
アメリカは日本の防衛体制をアメリカの防衛に連動させることで、日本の軍備をアメリカのために使いたい願望があるという論評があります。
しかし、集団的自衛は複数の国の利害が一致しなければ難しいわけで、そこで交渉が必要になるわけです。
「兵を出すから、経済問題のここは呑め!」とか「警備行動の負担を交互に行う変わりに・・・」などの交渉です。それが国際社会では普通のことであり、相手国が呑めるか呑めないかは、長い相手国の歴史を見て判断すべきもの。もちろん相手国の真意を推し量るためには、それなりのスパイ活動も必要になります。
日本の集団的自衛権の拒否は、このような交渉ごとから逃げられる要素もあって、それゆえに我が国の人的情報活動がお粗末になり、まったく相手国からバカにされる交渉を繰り返してきたわけです。
集団的自衛権の容認は、このような日本外交に渇を入れるチャンスでもあり、また同時に、スパイ防止法などの法整備を進める必要性が高まることでもあります。
冷戦時のように世界が単純な2勢力に別れていた時代ならともかく、アメリカの一国支配も終わった複雑な時代には、もはや交渉から逃げることは不可能です。
交渉の背景には軍事力があり、その軍事バランスを見極めるための情報収集活動があり、軍事バランスの崩れを補う集団的自衛の交渉があるわけです。
独立国家(主権国家)は、交渉において国家を代表する意識、すなわち国家観が確立していなければなりません。そうしないと相手国も何を交渉しているのかが判らなくなるからです。
軍事的交渉を避けて、経済的交渉だけを繰り返してきた経済大国が生き残ることは不可能です。それが人類の歴史であり、これからも変わることはないでしょう。
安倍内閣が行っていることは、国家のトップとして当然のことであり、それを「右傾化」とか「時代に逆行」などと批判するのは、戦後の「自虐のぬるま湯」への回帰に過ぎないのではないでしょうか。
まだこのような国民が多いのなら、憲法改正は先延ばしにした方が良いでしょう。現行憲法の解釈変更を進めて、「自虐のぬるま湯」から脱してからでも遅くはありません。
はじめまして
返信削除自衛隊が、ようやくネガティブリストでの運用になるんですかね、本当に良い事ですね。
軍法会議も必要になったりするようなので、そんなに簡単ではないと思いますが、内閣法制局の長官が変わったのも大きな意味があるんでしょうね。
ところで、kiyohiko idetaさんは、なかなかの見識とお見受けしました。また、ちょくちょく訪問させていただきますので、よろしくお願いします。