先日の参議院選挙の結果を見ていたら、日本維新の会から出馬したアントニオ猪木氏が同会派内でトップ当選していました。
そしてその次が中山恭子氏であったのが何か奇妙な感じでした。
アントニオ猪木氏は、プロレス界を平成8年に引退しております。その8年前の平成元年からスポーツ平和党を結成して参議院に当選し、議員活動をやっていた方です。
その後、阪神タイガースの江本孟紀氏を同党から当選させたりしましたが、政治資金規正法などの違反により平成16年に解散しています。
血液はAB型。それと関係があるのかどうか、明るい性格で何事も積極的ですが、あとが続かない性格のようです。「イノキ・スキャンダル」も多く、破滅型の行動をとる人物のようですが、その割にはプリンシプル(筋を通す気概)はあるようです。
訴えられ、裁判になっても抗弁をせず、「なぜもっと語らないのか?」との問いに「めんどくせえ」と言うような人。
そんな性格だからか、現在も国民の人気は高く、今回の日本維新の会からの出馬でもトップ当選を果たしたのでしょう。
神奈川県生まれで、13歳の時に家族と共にブラジルに移民し、サトウキビ畑で奴隷のように働かされ、遠征に来ていた力道山にスカウトされプロレス界に入ったとか。
日本に戻ってから、日系ブラジル人として活躍し、外人レスラーなどとの交流も多く、また芸能界、漫画家、そして政界との交流も多く、さまざまな事業にも手を出しています。しかしどれも長続きしていないようですけど。
莫大な借金と、その返済の荒っぽいやり方などで、周囲の友人が離れていくこともあったようですが、持ち前の「闘魂」で乗り切てきたとか・・・
政治的にはあまり活躍はしていませんが、ただ一つ、イラクの「湾岸戦争」での邦人救出には活躍しました。
湾岸戦争は、イラクのクウェート侵攻で始まった紛争です。イラクのサダム・フセイン政権の時に起きた事件で、当時クウェートに居た41人の邦人が事実上の人質としてイラクヘ連行・国外移動禁止処分になり、政府間の人質解放交渉は難航し、外務省はまったく解決できませんでした。
猪木議員は12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表、個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーターし、被害者家族46人と共にトルコ経由でバグダードに入国します。
この時猪木氏は、園遊会の会場で当時の駐日トルコ特命全権大使に飛行機を飛ばすよう懇願したと言います。トルコ大使がOKしたのには、エルトゥールル号遭難事件の借りを返すという意味があったとのことが、後に言われていますが・・・
ロックコンサートと、日本の大太鼓を初めとする伝統芸能や空手トーナメント、そして最後にプロレスが行われ、平和の祭典は無事終了します。そしてその間に家族の面談は許されますが開放は認められませんでした。
焦りと落胆の中、帰路に着くべく飛行機に乗り離陸しようとしたその時、「大統領からお話があります」と告げられた猪木議員。そして41名の開放が決まったということです。
破天荒であっても、人情味の豊かな猪木議員。(人気の素です)
彼は平成6年に金容淳氏の招きで初めて北朝鮮を訪問しています。
そこで彼は、恩人「力道山」の娘とあったと言います。そして猪木氏はその後20回以上北朝鮮を訪問しています。彼は何かを掴んでいるのでしょう。それが何かはわかりませんけど。
彼は言います。「日本の政治家たちは北朝鮮問題に先入観を持っており拉致と制裁以外に何も言わない。戦前、戦後の知識を持たないため相手を理解せず(今の)日本の基準で判断して主張する。それでは相手と衝突するだけで何も進まない。拉致担当大臣が直接北朝鮮に行って対話と交渉をすべきで、国力の優位を利用して落ち着いた寛大な外交をするべき」だと。
甘い感じもしますが、議論する価値はありそうです。
その拉致問題担当大臣の経験者でもある「中山恭子」議員。この2人が日本維新の会の当選者リストに並んでおりました。
この中山議員も拉致問題に関しては専門家でもあり、しかも心の強い政治家です。
小泉内閣時代、一時帰国した被害者を絶対に帰さないよう主張した政治家で、それをついに押し切りました。
そういう意味では猪木議員とは意見が対立するのかも知れませんが、その対立から生まれる議論にこそ拉致問題を解決するパワーが生まれる可能性があるように感じます。
残念ながらこの2人は自民党議員ではありません。しかし現在の拉致担当大臣である古屋圭司議員に協力はできるはずです。
まったく当てに出来ない外務省に比べれば、猪木議員、そして中山議員の方が頼りになるのではないでしょうか?
イラクの人質事件でも、一時帰国の拉致事件でも、外務省は邪魔ばかりしていたように見受けられます。少なくとも有権者から見た感じでは。
ぜひ猪木議員の「右脳の闘魂」を、拉致問題解決に役立てて欲しいですね。
アントニオ猪木氏は、プロレス界を平成8年に引退しております。その8年前の平成元年からスポーツ平和党を結成して参議院に当選し、議員活動をやっていた方です。
その後、阪神タイガースの江本孟紀氏を同党から当選させたりしましたが、政治資金規正法などの違反により平成16年に解散しています。
血液はAB型。それと関係があるのかどうか、明るい性格で何事も積極的ですが、あとが続かない性格のようです。「イノキ・スキャンダル」も多く、破滅型の行動をとる人物のようですが、その割にはプリンシプル(筋を通す気概)はあるようです。
訴えられ、裁判になっても抗弁をせず、「なぜもっと語らないのか?」との問いに「めんどくせえ」と言うような人。
そんな性格だからか、現在も国民の人気は高く、今回の日本維新の会からの出馬でもトップ当選を果たしたのでしょう。
神奈川県生まれで、13歳の時に家族と共にブラジルに移民し、サトウキビ畑で奴隷のように働かされ、遠征に来ていた力道山にスカウトされプロレス界に入ったとか。
日本に戻ってから、日系ブラジル人として活躍し、外人レスラーなどとの交流も多く、また芸能界、漫画家、そして政界との交流も多く、さまざまな事業にも手を出しています。しかしどれも長続きしていないようですけど。
莫大な借金と、その返済の荒っぽいやり方などで、周囲の友人が離れていくこともあったようですが、持ち前の「闘魂」で乗り切てきたとか・・・
政治的にはあまり活躍はしていませんが、ただ一つ、イラクの「湾岸戦争」での邦人救出には活躍しました。
湾岸戦争は、イラクのクウェート侵攻で始まった紛争です。イラクのサダム・フセイン政権の時に起きた事件で、当時クウェートに居た41人の邦人が事実上の人質としてイラクヘ連行・国外移動禁止処分になり、政府間の人質解放交渉は難航し、外務省はまったく解決できませんでした。
猪木議員は12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表、個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーターし、被害者家族46人と共にトルコ経由でバグダードに入国します。
この時猪木氏は、園遊会の会場で当時の駐日トルコ特命全権大使に飛行機を飛ばすよう懇願したと言います。トルコ大使がOKしたのには、エルトゥールル号遭難事件の借りを返すという意味があったとのことが、後に言われていますが・・・
ロックコンサートと、日本の大太鼓を初めとする伝統芸能や空手トーナメント、そして最後にプロレスが行われ、平和の祭典は無事終了します。そしてその間に家族の面談は許されますが開放は認められませんでした。
焦りと落胆の中、帰路に着くべく飛行機に乗り離陸しようとしたその時、「大統領からお話があります」と告げられた猪木議員。そして41名の開放が決まったということです。
破天荒であっても、人情味の豊かな猪木議員。(人気の素です)
彼は平成6年に金容淳氏の招きで初めて北朝鮮を訪問しています。
そこで彼は、恩人「力道山」の娘とあったと言います。そして猪木氏はその後20回以上北朝鮮を訪問しています。彼は何かを掴んでいるのでしょう。それが何かはわかりませんけど。
彼は言います。「日本の政治家たちは北朝鮮問題に先入観を持っており拉致と制裁以外に何も言わない。戦前、戦後の知識を持たないため相手を理解せず(今の)日本の基準で判断して主張する。それでは相手と衝突するだけで何も進まない。拉致担当大臣が直接北朝鮮に行って対話と交渉をすべきで、国力の優位を利用して落ち着いた寛大な外交をするべき」だと。
甘い感じもしますが、議論する価値はありそうです。
その拉致問題担当大臣の経験者でもある「中山恭子」議員。この2人が日本維新の会の当選者リストに並んでおりました。
この中山議員も拉致問題に関しては専門家でもあり、しかも心の強い政治家です。
小泉内閣時代、一時帰国した被害者を絶対に帰さないよう主張した政治家で、それをついに押し切りました。
そういう意味では猪木議員とは意見が対立するのかも知れませんが、その対立から生まれる議論にこそ拉致問題を解決するパワーが生まれる可能性があるように感じます。
残念ながらこの2人は自民党議員ではありません。しかし現在の拉致担当大臣である古屋圭司議員に協力はできるはずです。
まったく当てに出来ない外務省に比べれば、猪木議員、そして中山議員の方が頼りになるのではないでしょうか?
イラクの人質事件でも、一時帰国の拉致事件でも、外務省は邪魔ばかりしていたように見受けられます。少なくとも有権者から見た感じでは。
ぜひ猪木議員の「右脳の闘魂」を、拉致問題解決に役立てて欲しいですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿