2011年8月16日火曜日

被災地の松からセシウム、京都・大文字焼での使用中止

京都のお盆の大文字焼きに、護摩木として陸前高田の東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松を使うことを大文字保存会が計画したところ、放射能汚染を不安視する声が京都市などに寄せられたため、急遽中止となったのですが・・・

その中止を聞いて300件以上の抗議電話やメールが寄せられました。
供養のための大文字焼きに、被災地の護摩木を使って欲しいというようなことでしょう。中には「被災地を差別する行為」とか「京都市民として恥ずかしい」という抗議もあったとか。

そこで被災松500本を陸前高田から調達し、被災松が五山全ての送り火で燃やされることになったのですが・・・

薪の表皮を削って検査したところ、こんどはその護摩木の表皮からセシウムが検出されました。
その結果、京都府は取り寄せた500本全てについて、送り火での使用を取りやめることにしました・・ということです。

この決定に、何か違和感を感じませんでしょうか?
最初に「放射能があるといけないから中止」と述べておいて、京都府民から抗議が殺到すると、仕方なく一旦は問題の護摩木を取り寄せ、使う旨を府民に知らせておいて、わざわざ護摩木の表皮を測定器で測定させて、セシウムが出たからやっぱり中止という手口ですね。

京都府の府政は、最初から陸前高田などの松材を炊くことはいやだったのではないでしょうか?
京都の差別意識の強さは昔から感じておりましたが、このような手口を使ってまでも差別に徹することはちょっと許せない気がします。

報道には、「セシウムが検出された」と言うだけで、どのような測定器を使って、どのくらいの線量が検出されたのか、具体的数字は発表していません。(1キロあたり1130Bqとの発表はあったようですが)
もし、表皮にセシウムが付着しているならば、表皮を剥いで中の心材だけでも使うことはできるはず。そんなに手間を掛けていられないなどとは言い逃れに過ぎないでしょう。
もしも被災者の慰霊を求める気持ちがあったのなら、少しでも使えるところが無いか、苦心するのが、このような伝統行事の心ではないでしょうか?
表皮だけを測定したのか、心材まで測定したのか、測定したのは最初から使わない言い訳を求めたものだったのではないのか・・という疑いが持たれます。

京都というところは、非常に難しい「情」が交差する場所。このような伝統の差別意識、京都以外の地域への差別感覚があると思われるような行為が突然現れたりします。
しかし、京都は先端技術なども多く生み出しております。京都大学がiPS細胞(人工多能性幹細胞)の基本技術に関する特許を一番多く持っていて、その研究では世界的な主導権を確固たるものにしたのも、つい最近のことでした。
それが京都だ・・と言ってしまえばそれまでですが・・・それと対照的なのが山形県。

与党・民主党が「がれき受入れ」の安全基準を示すことが出来ないでいる中、隣県山形の自治体がしびれを切らし、「放射性セシウム濃度は1キロあたり4000ベクレル(Bq)以下、焼却については濃縮率を20倍とみて200Bq以下」として、がれき受入れを始めました。
「復旧に向けて少しずつ歩んでいるが、がれきは思うような処理がなされていない。国の方針が定まっていないが被災県の隣県として、皆さんの理解を得て受け入れていきたい」と、山形県の発言です。
いわば山形の、被災隣県としての“心意気”を示した形です。

京都の冷たさに比べて、この東北の心意気に、今後の日本を支えるのはどちらの心象か、を考えさせられます。
京都の「国宝の雅」に対して、東北には最近世界遺産になった「中尊寺」があります。
この「がれき受入れ」は、京都に対抗した「東北・藤原氏」の意気を今に伝えるものなのでしょうか・・・

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