大東亜戦争で敗戦し、アメリカを始めとした連合軍によって武装解除させられた日本。
日本国内にはサヨク思想が埋め込まれ、日教組教育が蔓延、自由主義を捻じ曲げた利己主義によって「権利の主張」と「義務の放棄」が、人権とか労働基準法などの大儀を使ってなされておりました。
その集大成である民主党政権が誕生し日本破壊が大きく進展してしまった時、東関東大震災が発生しました。
3万人とも言える被害者を出した震災となりましたが、どうやらこれで国民はサヨクの呪縛から解かれたようです。
民主党政権が、この未曾有の大震災とそれに伴う原子力発電所の被災に対し、何も出来ないで右往左往する姿を国民の前にさらけ出したからです。
震災後、直ちに活動が始まった自衛隊の救助活動。そして被災地の方々の協力し合って懸命に生き抜く姿が、かつての日本を彷彿とさせました。
同盟国アメリカは、さまざまな思惑の元に防衛サポートと救助に支援を行いました。しかしアメリカ政府の思惑とは関係なく、被災地のあまりにも悲惨な状況と、そこで生き抜こうとする住民の活動を報告ビデオで見たアメリカ軍の兵たちが、莫大な義捐金を集め、しかも災害救援のボランティア(兵隊の中からボランティアを募ったそうです)に大勢集まったことには感動いたします。
天皇陛下のお言葉が発せられ、その中で「自衛隊」「警察」「消防」の努力と「各国の救援隊の懸命なる努力」に対し感謝の意が述べられました。
重要なことは、自衛隊という我が国の軍隊への感謝が、初めて天皇陛下のお言葉として語られたことでしょう。そして、このお言葉の中には、日本国政府への言及はありませんでした。
サヨク政権というものがどんなものであるか、それはその後の内閣不信任案提出時に見せた見苦しい権力闘争にも現れております。彼等が使うシビリアンコントロールなどという言葉が、単なる戯言であることもはっきりと見えました。
この天皇陛下のお言葉を受けてかどうか、ひげの殿下で有名な三笠宮寛仁親王が、皇室として始めて「自衛隊・松島基地」を激励に訪れました。
大震災の被害を受け、機能不全に陥った松島基地。しかし驚くべき速さでの復興と、その後の救助活動を見れば、寛仁親王が激励に訪れる大儀は十分というもの。そしてこれで皇室と我が国の軍隊が始めて結びついたことになります。
我が国最高の公人が認めた自衛隊は、これで名実共に我が国の軍隊となったことは疑う余地もありません。
もう「暴力装置」などと言ったら不敬罪に当たるかも・・・
警察予備隊から自衛隊という組織になった日本国軍。そして防衛大学の創立。
防衛大学の第1回卒業生に対し、創設者である故・吉田茂元首相は次のように語ったとか。
「諸君らはこれから、国民から嘲笑と侮蔑を投げかけられるだろう。誠に申し訳ないが耐えて欲しい。そして国民が今後受けるであろう災害時の救助活動などを黙々と行って欲しい。
考えてみれば、諸君らがそのような立場にあることが、この国が平安である証拠だからだ。
もし将来、諸君らが国民から賞賛され頼りにされるとすれば、それは本当に国民が困窮し、疲弊したときだろう。」
詳細はわかりませんが、このような意味のことを語ったと聞いております。
大震災後の自衛隊に対する国民の賞賛と感謝を見て、この吉田元首相の言葉が思い出されます。
それでも、自衛隊が認められたことは我が国にとって重要な第一歩。日本が普通の国家に戻っていくために必要な第一歩だと思うからです。
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