議会開設120年の記念式典が、参院本会議場で11月29日に行われました。
天皇・皇后両陛下もご臨席され、式典は粛々と執り行われたのですが・・・かなり問題も発生していたようですね。
まず、参加した国会議員の数の少なさでした。我が国の議会制民主主義の発展の歴史の瞬間を、これらの議員達は何とも思っていないようです。
こんなことだから職業議員と言われてしまうのでしょう。こういう式典に現れなかった議員は、選挙運動を就活と同じように考えているのではないでしょうか?
自らの政治信条を持つことも無く、勝ち馬に乗ることしか意識に無いような議員達。こういう政治家が出てくるのが、日教組とか労組、宗教団体、そして既得権談合集団を背景に持っている議員なのではないでしょうか?
こういう圧力団体は、政治信条などを持っている議員は扱いにくく、何かを命令すれば、法律をも顧みず言うことを聞く議員の方が大事なのでしょう。
そしてその結果が国政に反映され、我が国の迷走が始まったということ。その数の論理を民主主義と考えているからこそ、こういう式典を軽く見るのでしょうね。
こういう議員が気配りするのは、自分のバックに居る団体の長の顔色だけでしょう。
次が式典の最中に鳴り響いた携帯電話の呼び出し音。どうやら自民党の逢沢国対委員長の電話が鳴ってしまったようです。
携帯電話のスイッチは切っておくことが、このような式典へ参列するときの常識。スイッチを切り忘れた議員に対し「逢沢議員はお疲れなのかしら?」とは、参列したある民主党の女性議員の皮肉なのか同情なのか・・・
そしてあきれたのが、ある民主党議員の暴言です。
式典が始まるとき、秋篠宮殿下御夫妻が入場された後、天皇皇后両陛下の御入場をお待ちになる間、ずっと起立されていたのです。
予定では「秋篠宮殿下御夫妻は席に着席して両陛下がご到着になるのを待つ」ことになっていたようですが、殿下ご夫妻はご着席にならず、起立したままで陛下のご到着を待たれたのです。
当然ですがご列席の皆様も座ることが出来ません。皆ご起立のまま陛下をお待ちしていました。
その時、民主党のベテラン議員が「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか。」と野次を飛ばしたというものです。(名前はすでに公表されましたが・・)
それほど大きな声ではなく、野次というほどでもなかったようですが、そのそばに居た「みんなの党」の桜内文城議員の耳に入り、その他近くに居た何人かの議員はとても不快に感じたようです。(当然ですが)
桜内議員が翌日30日、そのことをブログに書いてからコメントが殺到。多くの国民の怒りが噴出してきたとか。
http://ameblo.jp/sakurauchi/entry-10722419845.html#main
近代日本の民主主義は、確かに120年前に確立しました。しかしさかのぼること1400年、聖徳太子の作られた「17条の憲法」には、「夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。」という条文があり、これが議会を尊重するという日本の民主主義の始めだ、と言う方も居ります。
作られたのは聖徳太子でも、発布されたのは推古天皇ですから、日本の民主主義と天皇陛下は切っても切れない関係にあるということではないでしょうか?
そしてここで「公務」という価値観が明確に表現され、公務員がこの国を治める形の日本国家が成立していったわけです。
もっとも、この公務員(公家)がやがて腐敗し、武家に権力を取られたり、さまざまな歴史展開がなされてきました。その重い歴史の経過があって「民主主義の国民国家・日本」が現在あると云うことを忘れてはならないでしょう。
だからこそ陛下ご臨席のもとで式典がなされたわけですから、もっと緊張感と尊厳をもって欲しいものです。
サヨク指向の国民の中には、このような歴史の重みを理解できず、皇室の存在そのものを攻撃する輩もいるようです。
過去を捨てて新たなる社会の建設・・などと夢想しているようですが、それがうまく行かない原因は、すべてこの「歴史の中で反復されてきたこと」の中にあります。
このような失敗の反省こそが歴史そのものであることが判らないのでしょうか。机上の理想や現状不満の鬱憤などで未来を構築することは出来ないものです。
近代日本の民主主義が成立して120年。さまざまな失敗を繰り返しています。しかしそれでもより良くすることを目指して、現在も心ある議員が頑張ってくれています。
その思いを凝縮した式典、それが29日に行われた「議会開設120年記念式典」だったはず。
参列しなかった議員の名前をぜひ公表して欲しいですね。きっと処世術だけの議員なのでしょう。なんとか政界から排除したいものです。
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