毎年8月6日と8月9日は原爆の日です。
大東亜戦争末期、アメリカは国際法違反の原爆投下を広島と長崎に行いました。合わせて20万人近い人が亡くなったそうです。
この原爆以外にも、東京などの都市部への絨毯爆撃が実施されています。これなどはあらかじめ日本家屋で出来た町をアメリカ国内に作って、合理的に焼き殺す爆弾を設計し、「焼夷弾」を開発して非戦闘員を殺したのですから、戦時国際法違反も甚だしいものですね。
ただし、日本側の風船爆弾(コンニャク爆弾とも言います)を作ってアメリカ本土への非戦闘員を攻撃したのですから、同じよふなものかも知れませんが。
この風船爆弾、戦後隠されてきましたが結構アメリカに被害を与えていたようです。そんな資料が最近、期限付き極秘文書ということで公開されているらしいですね。
さて、この原爆の日に行われる日本の集会ですが、毎年「核廃絶の願いを込めた祈り」がなされているようです。
今年も「心身に深刻な傷を負い続ける被爆者の訴えが皆さんに届いていますか」などと問いかけておりました。
間違いなく届いています。だから核兵器の廃絶が出来ないのです。このような悲劇を受けないためには、普通は「自国も核兵器を持とう」と考えるのが世界の常識なのです。
日本国民は「こんな残酷な兵器だから、核は廃絶しよう」と考えているようですが、ここが一番問題のところではないでしょうか。
ここに他国の国民の考え方と日本国民の考え方の大きな違いがあるのではないでしょうか。
「軍隊を持たなければ他国は日本に攻めてこない」と考えるのと同じで、他国の国民とは正反対の考え方です。そして「日本は強力な軍隊を持っていたから戦渦を受けた」などと考えるのは他国から見たら非常識になるでしょう。自虐史観と言われる所以です。
私はこの原爆の日の祈りが、核拡散に手を貸しているような、そんな気がしてなりません。
誰でもあんな悲惨な目には合いたくありませんからね。「核兵器さえ持っていれば、核攻撃はされない」と言うのが世界の常識であることを忘れてはいけません。
その核兵器、原爆は今さらに進化しています。飛行機で運べば飛行機もろとも吹っ飛びますから、運搬手段はミサイルになったわけです。
第二次世界大戦では艦砲射撃が強力な攻撃でした。硫黄島も沖縄も、艦砲射撃によって恐怖と被災が頂点に達しました。
しかし艦砲射撃は、軍艦が敵国まで行かねばなりません。危険な任務です。それを改善したのが長距離ミサイルでした。その国の中から敵国に向かって発射できる大砲がミサイルです。そしてそのミサイルに核兵器を付けるのが、現在の国防・安全保障の一般解なのです。
北朝鮮が核爆弾を作りミサイルを飛ばし続けるのは、ある意味で常識に順じているわけです。日本国民が核廃絶に向かって祈っていること自体が異常に見えているはずです。
各国の軍事技術者はミサイルの迎撃方法に英知を絞っています。いわゆるミサイルディフェンス(MD)です。
パトリオットやTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)がその代表でしょうが、それでもこれらの技術では完全にミサイルをうちおとすことなど出来ないとするのが、まだ一般的常識のようです。
プーチン大統領は「核ミサイルのおかげで世界の平和が保たれているのに、それを崩すことはない」などと言っています。核廃絶とは全く反対の平和主義ですね。
最近は電磁波兵器が登場しました。飛んでくるミサイルをミサイルで撃ち落とすことには限界があることで、電磁波(電子レンジのようなもの)で記載るの起爆装置を焼き切ってしまうという発想です。アメリカもロシアもその実験は成功したようです。
プーチン大統領はその結果を受けて、超音速ミサイルを開発しました。高速度であれば迎撃出来ないと踏んだからでしょう。電磁波兵器は莫大な電力を使用しますから、一発目は撃ち落とせても、時間差をつけて二発飛んで来れば防御出来なかったからです。
ある日本の企業が、連続して大電力を電磁波兵器に送ることが出来る電源を開発したという情報があります。しかしはっきりしたことは解りません。軍事機密だそうです。
完全なミサイルディフェンスが可能になれば、核兵器は廃絶されるでしょう。核兵器の恐怖は、非戦闘員も何もかもすべてを破壊するからです。いかにもキリスト教的というかユダヤ教的というか、神の怒りの恐怖のようなものですね。だから日本国民は祈りをささげれば良いと思ったのでしょうか。
核兵器は人間の科学と技術が生み出したもの。それを廃絶させることが出来るのは、それ以上の科学と技術の発展あるのみ・・なのです。
「祈りから技術発展への変換」こそが核廃絶の鍵だということ、しっかりと心に止めましょう。
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