アイヌ新法というものが国会で成立しました。アイヌ民族が先住民族であるということを認めるとか何とかいう法律ですが、アイヌ民族と言うものが何なのか今一つはっきりしておりません。
「アイヌ民族とは、日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族です。」と言うのがこの法が指すアイヌ民族らしいのですが、独自の言語がどのようなものなのか、宗教や文化はどのようなものなのかは明記されておりません。
アイヌのもともとの意味は「夷狄(イテキ:差別用語です)」という意味かと思います。夷狄とは、古代中国が周辺の諸民族を卑しんで呼んだ名称で、その夷狄をアイヌと呼んだのではないかと思います。
征夷大将軍の「夷」がそれを表し、もともと本州にも居たアイヌを北方へ追いやるのが征夷大将軍の役割だったのではないでしょうか。
征夷大将軍と言えば「源頼朝」や「徳川家康」などの将軍を思い浮かべますが、この頃はすでにアイヌは民族として存在ではなく、大和民族に同化していたものと思われます。
征夷大将軍はただ、天皇陛下から授かる官位として残されていただけではないでしょうか。
つまり、話は神武天皇の頃まで遡らないとアイヌの現実は見えてこないように思います。
それは何故日本に天皇陛下が必要だったのか、その命題に行きつくはずです。その基には「米作り」で必要な労働を集約する技術だったのではないか・・と考えることが出来るのではないでしょうか。
お米は厄介な作物で、水耕栽培にしないと土地が荒れてしまいます。即ち水田で米の発する老廃物を流してやらないと次の年に同じ場所でお米は育たなくなります。
同じ時期に多くの水田で作業をやるには、大勢の人々が一致団結して同じ作業をやらなくてはいけません。そしてそこまで努力しても、天候などの不良となれば不作となり餓死者が出ます。その責任を取る人物こそ天皇陛下だったのではないでしょうか。自然の成り行きに責任を取る天皇の初代こそが神武天皇だったと考えるのです。(一神教はこの責任を抽象神に向けて、皇帝の責任とはしません)
そして神武天皇の周辺に居たのは縄文人だったのでしょう。縄文人は自然現象を「神」として意識し、理解していたのだと思います。
お米は特に日照と雨量のバランスとタイミングが重要です。それは太陽の状況で左右し、そして縄文の太陽は「天照大神」であり女神だったところから、天皇陛下は男系に決められたのではないかと思います。それは生産のメタファーではなかったかと・・・
それを周辺に説いて回った神武天皇ですが、反発も強く結果的に「征夷」という形を取らざるを得なくなったのであり、次第に北へ追われた縄文種族の総称がアイヌという言葉になったのではないでしょうか。出雲の説得に失敗した時、出雲のトップを殺害して収めたのが、後に「国譲り」として語り継がれ、後の我が日本の戦(いくさ)のやり方(首領が死ねば家来は無罪)になったような気もします。
ですからアイヌ民族という一つの民族が居たのではなく縄文から天皇陛下に従わなかったグループをアイヌと呼んだのではないでしょうか。すなわち米作りという「きつい労働」から逃げた人々も含むことになります。
ですからアイヌの定義にある「独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族」が当てはまるのかどうか、疑問のあるところです。
平成25年の「北海道アイヌ生活実態調査」で、調査対象者として把握しているアイヌの人々の人数は、16,786人だったそうですね。「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる方、また、婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる方」としたそうですが、遺伝子レベルでは日本国民のほとんどがアイヌ(縄文人)の血を引き継いでいると思います。(と言うより縄文人が文化して和人とアイヌになった)
お米作りの労働から逃げて、縄文の生活を続けていたアイヌです。あらゆる自然に神を見出し、その神との交流による雑穀と狩猟生活で、貧しい暮らしをしていたのでしょう。
米作が豊かな社会を作り出しましたが、その日本文化の中に縄文の文化は受け継がれているものと思います。ですからアイヌ文化という確固たるものは無く、日本文化に同化しているはずです。
室町時代の1456年、すでに北海道での生活になっていたアイヌは、同じ北海道に住む和人(大和民族・アイヌ語でシャモ)と共生していたようです。(言語構造は同じだったのでは?)
箱館近郊志濃里(しのり)(現,函館市志濃里町)の鍛冶屋村で和人がアイヌの青年を刺殺した事件が起きて、これがきっかけとなり東部アイヌの首長コシャマインに率いられたアイヌ達の大蜂起へと発展します。これが「コシャマインの戦い」で、花沢館主・蠣崎季繁(かきざきすえしげ)のもとにあった武田信広(松前氏の祖)が和人の軍を指揮してコシャマイン父子を射殺、この戦いを収めます。
これ以降、江戸時代末まで松前藩が北海道を統治していたようです。
近代になってから北海道を経済的に支えるため、アイヌとかイヨマンテなどの言葉が出てきて「熊祭り」などが演出されたようです。(観光資源としてのアイヌ)
劇画「カムイ伝」などには、アイヌと部落民を混同した描き方がなされ、現実とは程遠い戯曲となっていますから、このような「嘘」に騙されないように注意する必要があります。
「国境を低く、あるいは無くしたい人達」がアイヌを差別主義の批判対象にしようと国連などで暗躍していますから、それに対抗するアイヌ新法でなければなりません。日本国民の分断工作にのってはいけないわけです。
この新法が、沖縄のような既得権を作り、国費(補助金)調達の手段とされないように監視していきましょう。
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