尖閣諸島への中共の侵略行為、南京事件の記憶遺産登録、そして慰安婦像の設置問題や竹島への不法常駐と議員団の上陸など、日本を取り巻く環境がどんどん悪化しています。
しかし、このような外国とのかかわりを糺す前に、日本国内に居るサヨク退治が優先することは言うまでもありません。
沖縄の米軍北部訓練場の返還に伴う新ヘリパッド建設に反対するN1裏テント。その映像を編集した三宅洋平氏の「標的の村」(三上智恵とかいう琉球朝日放送のキャスターやってた女性が作った沖縄サヨクのプロパガンダ映画)という映画を見た安倍首相夫人の昭惠氏が、首相には相談せずに三宅氏に直接「そのN1裏テントを見てみたい」と相談を持ち掛けたのです。
http://www.hyoteki.com/trailer/
三宅洋平氏はベルギー生まれのミュージシャンでボーカルギターを担当し、元はリクルートの社員だった人です。
そして7月の参議院選挙に立候補し「原発反対」の選挙運動を展開しながら、その選挙活動もちょっと変わっていて「選挙フェス」と銘打って音楽ライブのような選挙を展開し、多くの有権者の共感を呼び、比例区17万6970の個人得票(全候補中26番目)を得るなど、落選はしたものの見事な選挙戦を戦いました。
自民党との関係はよく知りませんが、安倍首相の昭惠夫人が彼を通じて沖縄・高江ヘリパッド建設に反対するN1裏テントへの道を確保したのは8月6日のことでした。
三宅氏とともにテント内に入った昭惠夫人は、彼等の意見を聞くだけに留め置き、自分の意見は何も言わなかったと言うことです。
代わりに三宅氏が自分の立場で座り込みを続ける人たちに語り掛けました。さすがに演説はうまいものですね。
三宅氏は、「議論することこそが重要なんだ」と説き、閉鎖的で保守の人達を排除しようとするテント側にクレームを付けます。
集まっていた人たちは三宅氏の話に同調する人も多かったようです。しかし中に「ヤスさん」と呼ばれている過激派らしき人が居て、三宅洋平氏に異議を唱えていました。その言葉などの無礼さに、三宅氏の隣に居た反対活動のトップ「山城博治氏」が怒って、「ヤス、出ていけ!」と怒鳴る場面もありました。
三宅氏は「僕は何度もこのテント村に来ていますよ」として自分は米軍基地に反対する皆さんの仲間であることをアピールしていました。
そして三宅氏は、「これからこのテントに多くの本土からの人達が訪れるでしょう、皆さんと同じように基地反対の人達も居るでしょうが、保守派で沖縄の基地は必要だとする人たちも居るでしょう。しかし先ず排除をせずに話し合ってみることが必要なんです。」とその場にいた人達に語り掛けておりました。
テント内では、三宅氏に同調し保守派とか基地容認派との話し合いをしなければよい解決には向かわないということを考え始めた人達と、今まで通り閉鎖的で強硬、まるで中共のような「反対闘争」を続けるべきだという2つの意見に割れ始めたようです。
沖縄の基地反対闘争は、もともと沖縄県民の総意ではなく、沖縄返還の直後から本土からやってきたサヨクの「何でも反対」というイデオロギー闘争の理由付けとしての「米軍基地反対」闘争だったはずです。
ですから今回の安倍昭惠夫人の訪問で、基地反対の活動が分裂するとすれば、それは本土や北海道からやってきたサヨク分子の締め出しに向かうと思います。
もちろん日教組配下の活動家達も、次第に締め出されるでしょう。
安倍政権が誕生してから、インターネットなどの普及もありマスコミの力にも陰りが出はじめて、全体的には縮小方向に向かっているサヨクです。
北海道のサヨクが沖縄に集結するなど、最後の砦としての沖縄イデオロギー闘争があって、その実体としての基地闘争が使われているのだろうと思われます。そしてそれに乗っかる中共の影があるわけです。
安倍夫人のこの訪問が、沖縄基地闘争の分裂に結びつけば、沖縄はサヨクから沖縄県人のものになって行きます。問題の沖縄の2つの新聞も、次第に八重山日報のように現実を伝えるようになって行くかも知れません。
尖閣諸島を侵略して、その後沖縄に銃口を突きつけてくる中共。沖縄の後は鹿児島を橋頭堡にして九州を狙っている中共。日本列島を、聖徳太子の時代から1400年を経て再び朝貢国に貶めようとする華人の傲慢な野望。
それを阻止するためには避けては通れない沖縄の問題なのです・・・
沖縄の米軍北部訓練場の返還に伴う新ヘリパッド建設に反対するN1裏テント。その映像を編集した三宅洋平氏の「標的の村」(三上智恵とかいう琉球朝日放送のキャスターやってた女性が作った沖縄サヨクのプロパガンダ映画)という映画を見た安倍首相夫人の昭惠氏が、首相には相談せずに三宅氏に直接「そのN1裏テントを見てみたい」と相談を持ち掛けたのです。
http://www.hyoteki.com/trailer/
三宅洋平氏はベルギー生まれのミュージシャンでボーカルギターを担当し、元はリクルートの社員だった人です。
そして7月の参議院選挙に立候補し「原発反対」の選挙運動を展開しながら、その選挙活動もちょっと変わっていて「選挙フェス」と銘打って音楽ライブのような選挙を展開し、多くの有権者の共感を呼び、比例区17万6970の個人得票(全候補中26番目)を得るなど、落選はしたものの見事な選挙戦を戦いました。
自民党との関係はよく知りませんが、安倍首相の昭惠夫人が彼を通じて沖縄・高江ヘリパッド建設に反対するN1裏テントへの道を確保したのは8月6日のことでした。
三宅氏とともにテント内に入った昭惠夫人は、彼等の意見を聞くだけに留め置き、自分の意見は何も言わなかったと言うことです。
代わりに三宅氏が自分の立場で座り込みを続ける人たちに語り掛けました。さすがに演説はうまいものですね。
三宅氏は、「議論することこそが重要なんだ」と説き、閉鎖的で保守の人達を排除しようとするテント側にクレームを付けます。
集まっていた人たちは三宅氏の話に同調する人も多かったようです。しかし中に「ヤスさん」と呼ばれている過激派らしき人が居て、三宅洋平氏に異議を唱えていました。その言葉などの無礼さに、三宅氏の隣に居た反対活動のトップ「山城博治氏」が怒って、「ヤス、出ていけ!」と怒鳴る場面もありました。
三宅氏は「僕は何度もこのテント村に来ていますよ」として自分は米軍基地に反対する皆さんの仲間であることをアピールしていました。
そして三宅氏は、「これからこのテントに多くの本土からの人達が訪れるでしょう、皆さんと同じように基地反対の人達も居るでしょうが、保守派で沖縄の基地は必要だとする人たちも居るでしょう。しかし先ず排除をせずに話し合ってみることが必要なんです。」とその場にいた人達に語り掛けておりました。
テント内では、三宅氏に同調し保守派とか基地容認派との話し合いをしなければよい解決には向かわないということを考え始めた人達と、今まで通り閉鎖的で強硬、まるで中共のような「反対闘争」を続けるべきだという2つの意見に割れ始めたようです。
沖縄の基地反対闘争は、もともと沖縄県民の総意ではなく、沖縄返還の直後から本土からやってきたサヨクの「何でも反対」というイデオロギー闘争の理由付けとしての「米軍基地反対」闘争だったはずです。
ですから今回の安倍昭惠夫人の訪問で、基地反対の活動が分裂するとすれば、それは本土や北海道からやってきたサヨク分子の締め出しに向かうと思います。
もちろん日教組配下の活動家達も、次第に締め出されるでしょう。
安倍政権が誕生してから、インターネットなどの普及もありマスコミの力にも陰りが出はじめて、全体的には縮小方向に向かっているサヨクです。
北海道のサヨクが沖縄に集結するなど、最後の砦としての沖縄イデオロギー闘争があって、その実体としての基地闘争が使われているのだろうと思われます。そしてそれに乗っかる中共の影があるわけです。
安倍夫人のこの訪問が、沖縄基地闘争の分裂に結びつけば、沖縄はサヨクから沖縄県人のものになって行きます。問題の沖縄の2つの新聞も、次第に八重山日報のように現実を伝えるようになって行くかも知れません。
尖閣諸島を侵略して、その後沖縄に銃口を突きつけてくる中共。沖縄の後は鹿児島を橋頭堡にして九州を狙っている中共。日本列島を、聖徳太子の時代から1400年を経て再び朝貢国に貶めようとする華人の傲慢な野望。
それを阻止するためには避けては通れない沖縄の問題なのです・・・
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