フランス・パリの週刊誌・シャルリー・エブドが、イスラム教をテーマにした記事を編集し、その編集内容について話し合う会議を行っていた本社会議室に、黒い覆面をかぶった男達が乱入、「アラー・アクバル(神は偉大なり)」などと叫びながら自動小銃を約30発撃ちました。
その後、植え込みや車に身を隠しながら銃を手に走る男らの姿と大きな銃撃音が、近くにいた目撃者によって撮影され、そこには歩道に倒れた警官に、とどめの一撃を加える非情な姿も写っていたということです。
パトカーのフロントガラスには10発以上の弾痕が残り、運転席と助手席の前に集中していたとか。射撃は正確だったと言うことです。
どうもシャルリー・エブド誌にイスラムを誹謗するような漫画があったらしいのですけど・・・
オランド仏大統領は「自由な国であるがゆえに脅迫を受けた」と語ったそうですが、これは明らかに移民政策の失敗ではないかと思うのです。
欧州は多くの移民を受け入れてきました。特に中東などのイスラム圏からが多かったようです。東南アジアの人達も居りますが、今回はイスラム圏がイスラム国のプロパガンダに乗り、暴発し始めたようです。
イスラム圏の怒りがイスラム国を作ったようですが、この根底にあるのは欧州キリスト教国に内在する差別ではないでしょうか。
英国でもドイツでも、常にイスラム圏のテロの脅威が内在しているようです。
「労働力不足」を移民で賄おうと始まった移民政策。しかし移民で入国した中東の人達を待っていたのは、自由平等博愛の陰に潜む陰鬱な差別だったようです。
同じような差別は、かつて日本からアメリカや南米に移民で渡った日本人にもありました。しかし日本人は同朋が互いに情報を交換し合い、子弟を教育し、欧米の文化に馴染んで同化し、そして地元国民と融合しながらその社会に溶け込んでいったのです。
しかしイスラムにはそれが出来ません。イスラム教とキリスト教では相溶性が無いのです。同じ旧約聖書からの派生であるにもかかわらず、相互に非難しあいながら時代を経てきました。その結果、相互ともに対立関係にあることを解消できません。
中世と言う時代、イスラムは繁栄しました。北方のキリスト教圏は寒冷地で、農業技術も乏しく常に貧乏でした。食い詰めたキリスト教は「十字軍」などという「キリスト教の大義を掲げた武装集団」を南のイスラム圏に派遣し、略奪や殺戮を行いましたが、イスラムの優位は永い事変わらなかったようです。
やがてキリスト教圏にルネサンスが起こり、そして産業革命が起こると事態が一変していきます。
大航海時代にはイスラム圏を迂回する形で海上交通によってインド・東南アジアを植民地化し、産業革命が始まるとそこの資源を略奪して大量生産が始まり、世界市場を求めて欧米列強がしのぎを削り、その中でイスラム圏が衰退していきます。
アフリカから黒人奴隷を連れてきては辛い仕事の部分を奴隷で行ってきた欧州は、やがて人権という概念が出て来るとイスラム圏からの移民という、労働者受け入れを始めたのです。
しかし欧州の国民意識が変わっていませんから、移民は無言の差別を感じ始めるのは当然ではないでしょうか。そして、そこで中世の怨念と、キリスト教絶対主義とイスラム教との対立が息を吹き返すわけです。
アメリカは移民によって成立した国ですから、あらゆる宗教には寛容です。しかしそのアメリカの社会秩序を形成する一部国民はキリスト教絶対主義なのです。
故にアメリカは欧州をサポートし、イスラムの悪行を書きたてます。さまざまな思惑が交差し、行動としてはイスラム圏への圧力(軍事行動を伴うもの)となって表面化するわけです。
第二次大戦後、アメリカが取った石油戦略は、中東の石油の取引にドルを使うと言うものでした。ドルという石油本位通貨が世界を席巻しました。その見返りとして、中東イスラム圏には莫大な資金(ドル)が流れ込みます。
しかし、産業技術に疎い中東イスラム圏は、トマ・ピケティ氏の言う「資本収益率が経済成長率を上回ると貧富差が広がる」という理論の通り、貧富差が大きくなる社会になって行ったわけです。産業技術が無ければ経済成長しませんからね。
より良き未来を求めて、貧しいイスラムの民が欧州へ出稼ぎに行き、そこで始まった無言の差別や虐待・・・おそらくここにイスラム圏の怒りがあったのでしょう。中東で、何度も戦闘行為が繰り返されながら、やがてイスラム国という疑似国家の発生が始まったわけです。
移民を受け入れ、無言の差別をしてきた国家は、今、イスラムから恐怖を与えられています。
生まれた国で食えなくなって、別の国へ移民として行くことで生じる差別と偏見。自国で何故食えないのかを考え、自国で食えるように改革することこそ大事なことなのです。(そのためにこそ血を流す覚悟が必要なのでは?)
経済移民は、基本的にやってはいけない事のようですね。
パトカーのフロントガラスには10発以上の弾痕が残り、運転席と助手席の前に集中していたとか。射撃は正確だったと言うことです。
どうもシャルリー・エブド誌にイスラムを誹謗するような漫画があったらしいのですけど・・・
オランド仏大統領は「自由な国であるがゆえに脅迫を受けた」と語ったそうですが、これは明らかに移民政策の失敗ではないかと思うのです。
欧州は多くの移民を受け入れてきました。特に中東などのイスラム圏からが多かったようです。東南アジアの人達も居りますが、今回はイスラム圏がイスラム国のプロパガンダに乗り、暴発し始めたようです。
イスラム圏の怒りがイスラム国を作ったようですが、この根底にあるのは欧州キリスト教国に内在する差別ではないでしょうか。
英国でもドイツでも、常にイスラム圏のテロの脅威が内在しているようです。
「労働力不足」を移民で賄おうと始まった移民政策。しかし移民で入国した中東の人達を待っていたのは、自由平等博愛の陰に潜む陰鬱な差別だったようです。
同じような差別は、かつて日本からアメリカや南米に移民で渡った日本人にもありました。しかし日本人は同朋が互いに情報を交換し合い、子弟を教育し、欧米の文化に馴染んで同化し、そして地元国民と融合しながらその社会に溶け込んでいったのです。
しかしイスラムにはそれが出来ません。イスラム教とキリスト教では相溶性が無いのです。同じ旧約聖書からの派生であるにもかかわらず、相互に非難しあいながら時代を経てきました。その結果、相互ともに対立関係にあることを解消できません。
中世と言う時代、イスラムは繁栄しました。北方のキリスト教圏は寒冷地で、農業技術も乏しく常に貧乏でした。食い詰めたキリスト教は「十字軍」などという「キリスト教の大義を掲げた武装集団」を南のイスラム圏に派遣し、略奪や殺戮を行いましたが、イスラムの優位は永い事変わらなかったようです。
やがてキリスト教圏にルネサンスが起こり、そして産業革命が起こると事態が一変していきます。
大航海時代にはイスラム圏を迂回する形で海上交通によってインド・東南アジアを植民地化し、産業革命が始まるとそこの資源を略奪して大量生産が始まり、世界市場を求めて欧米列強がしのぎを削り、その中でイスラム圏が衰退していきます。
アフリカから黒人奴隷を連れてきては辛い仕事の部分を奴隷で行ってきた欧州は、やがて人権という概念が出て来るとイスラム圏からの移民という、労働者受け入れを始めたのです。
しかし欧州の国民意識が変わっていませんから、移民は無言の差別を感じ始めるのは当然ではないでしょうか。そして、そこで中世の怨念と、キリスト教絶対主義とイスラム教との対立が息を吹き返すわけです。
アメリカは移民によって成立した国ですから、あらゆる宗教には寛容です。しかしそのアメリカの社会秩序を形成する一部国民はキリスト教絶対主義なのです。
故にアメリカは欧州をサポートし、イスラムの悪行を書きたてます。さまざまな思惑が交差し、行動としてはイスラム圏への圧力(軍事行動を伴うもの)となって表面化するわけです。
第二次大戦後、アメリカが取った石油戦略は、中東の石油の取引にドルを使うと言うものでした。ドルという石油本位通貨が世界を席巻しました。その見返りとして、中東イスラム圏には莫大な資金(ドル)が流れ込みます。
しかし、産業技術に疎い中東イスラム圏は、トマ・ピケティ氏の言う「資本収益率が経済成長率を上回ると貧富差が広がる」という理論の通り、貧富差が大きくなる社会になって行ったわけです。産業技術が無ければ経済成長しませんからね。
より良き未来を求めて、貧しいイスラムの民が欧州へ出稼ぎに行き、そこで始まった無言の差別や虐待・・・おそらくここにイスラム圏の怒りがあったのでしょう。中東で、何度も戦闘行為が繰り返されながら、やがてイスラム国という疑似国家の発生が始まったわけです。
移民を受け入れ、無言の差別をしてきた国家は、今、イスラムから恐怖を与えられています。
生まれた国で食えなくなって、別の国へ移民として行くことで生じる差別と偏見。自国で何故食えないのかを考え、自国で食えるように改革することこそ大事なことなのです。(そのためにこそ血を流す覚悟が必要なのでは?)
経済移民は、基本的にやってはいけない事のようですね。
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