2012年11月15日木曜日

先手を打った野田首相、民主サヨクへの鉄槌

「16日に解散します。約束します。」
14日に行われた党首討論で、野田首相は国民の前に約束しました。安倍総裁も、ちょっとびっくりしたようでしたが、もしかしたら、すでに話はついていたのかも知れませんね。

安倍総裁は、解散をほのめかしながらなかなか解散を実行しようとしない野田政権に対して、「解散を口にした首相に政治力はない。経済政策を進める力はないし、何より外交力を失っている。野田佳彦首相は一日も早く解散する責任がある」と述べました。

野田首相は解散をする気だったのでしょう。しかし、民主党サヨクが言うことを聞きません。何しろ日教組の爺さんをけしかけて「解散反対」なる取り決めをしたと野田首相に突きつける有様です。
反対したら何とかなる。任期いっぱいまで議員であることを保障される・・・これが反対の真の理由だったのではないでしょうか?
それでも解散しそうな野田首相に対して、野田降ろしなる謀略が進んでいたとか・・・

そして延命するその影で、姑息な手段で積み上げてきた人権侵害救済機関「人権委員会」を法務省の外局として新設する「人権委員会設置法案」(人権救済法案)を、国会に提出しようとするような、画策をしていたのではないでしょうか?

こんな民主党サヨクに、鉄槌を下したのがこの、党首討論での16日解散だったと見るのですけど。
「景気への影響もあり、予算編成を一からやり直すことだけは避けたい」という意向もあったようですが・・・。

自民党の安倍総裁も、自民党総裁選挙で当選し、戦後体制を維持しようとする長老達が担ぐ石原伸晃
候補を抑えて、見事に総裁の座につきました。
民主党サヨクは、戦後日本に蔓延している「反戦平和」という非政治的スローガンを人質にして、日本国民を騙し続けてきた一派です。
野田首相は、これらの漠然とした「非政治的スローガン」を叫ぶ一派に、国政を左右させないという明確なメッセージを出して解散したように思います。

野田首相は、15日に「特例公債法案」を通し、自民党が提案した「小選挙区・0増5減」の定数是正も通し、そして次期国会で「国会議員の定数是正について議論し、憲法に即した選挙法を制定する約束」をして解散にしたわけですね。
中には、安倍総裁が言っていることをそのまま返して、あたかも民主党の意見であるように話している部分もあったようですけど。

解散発表から2日で選挙戦、それはまた民主党内サヨクに野田批判をする時間を与えない作戦だったというのですから、野田政権にとって民主党サヨクこそ敵であったと思わずにはいられませんね。
だいたい「解散反対」という不見識な決定を議員総会(?)などで出して、幹事長に指示して首相に突きつけるなど、とても常識では考えられないことを平然とやってしまう国会議員。こんな議員に投票するのは、日教組とか労組の組合員で、サヨクの嘘に洗脳されてしまった国民・・なのでしょうか?

当然、今日は民主党内で野田批判が火を噴いているようです。無責任なサヨク政治家が束になって・・
その筆頭が衆議院議長の横路孝弘氏。「憲法違反の選挙で、選挙無効もありうる」などと述べていますが、それでは民主党が政権を取ったことも無効だったのではないですか?

輿石東幹事長が「野田降ろし」を始めていたようですが、その情報が漏れて、野田首相が先手解散を打ったとの話もあります。
野田首相を降ろして、一体誰を民主党のトップに着けたかったのでしょうか?
サヨクが狙う法案を、水面下で盛んに構築していましたから、民主党にとってトップなどどうでもいい人事だったのではないでしょうか?
ようするに下で行っている亡国法案を通すための時間稼ぎをしてくれればいいだけの党首であり首相だったのでは?

16日解散であっても、野田首相は、選挙で次の責任政党が出来るまでは日本国の首相です。
18日から東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議のためカンボジアを訪問するそうですが、もう民主党サヨクのクビキはありません。思う存分日本の国益のために頑張ってきてほしいですね。
そうすることで、野田・民主党は最後に日本のための仕事をしたと記録されるでしょう。

戦後サヨクがこうして排除され、安倍・自民党の成立で戦後保守勢力がかげりを見せてきました。「太陽の党」とか「みんなの党」がどこまで伸びるかはわかりませんが、日本が普通の国家に向かって世界での義務を果たせるようになる日も、近くなってきたようですね。
日本の未来に針の穴ほどの光が見えてきたように思います。

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