2012年3月28日水曜日

映画・マーガレットサッチャーを見て


「鉄の女」と呼ばれた英国首相。10年以上の長期政権をやり抜き、IRA(アイルランド共和軍)のテロに屈せず、フォークランド戦争を勝ち抜き、英国経済を不況がら脱出させた宰相、マーガレット・サッチャー氏の伝記映画なのですが・・・いえ、まだサッチャー氏は健在です。
映画は、現在を生きるマーガレット・サッチャー氏の回想形式で、サッチャー政権の苦悩と勝利を描いてはいるのですけど・・・

この映画の製作者は、誰でも知っているサッチャー政権時代の出来事を、どのように描くかで新しい試みをしたようです。
現在、マーガレットサッチャー氏は痴呆症と戦っているとか。製作者はこの現実と向き合い、現在の彼女を描こうとしたものと思います。

映画は、最初から年老いたサッチャー氏がミルクの買い物をするところから始まります。(サッチャー氏が、かつてミルク泥棒と揶揄されたことに引っ掛けたのかも)
亡くなったご主人を妄想しながらの食事。ヘルパーの女性たちのひそひそ話だけは良く聞こえ、朝サッチャー氏が一人で買い物に行ったことをののしるようなおしゃべりが入ります。

そういう生活の中で、サッチャー政権の思い出が、回想の形式で入ってくるという作品です。

子供の頃の空襲で非難したときの思い出、家業の雑貨屋を手伝った思い出、オクスフォード大学にうかった時の感動、保守党に入り、最初の選挙で落選し、そこでプロポーズされたという思い出。
これらのエピソードが語られていきます。

マーガレットが「保守党党首に立候補する」と言ったときの家族の反対。
選挙のための発声練習と、その自分を宰相まで導いてくれた人の爆弾テロによる死。
首相になって、初めてダウニング街10に入るときの緊張。そして自分の政策に反対され、マスコミに叩かれ、労働者のデモにもみくちゃにされた時の恐怖。
フォークランド島をアルゼンチンに乗っ取られた時の苦渋の判断。戦争突入と、戦死者が出たときの苦しさ、そして勝利。
国家の意思と、それゆえに避けられない戦争。しかし決断は常に一人の政治家の孤独な判断に掛かっていることを、かなりの説得力で映画は語りかけます。

その勝利が幸いして長期政権となり、サッチャリズムが軌道に乗ってデフレ不況は克服されましたが、そこらへんのエピソードは飛ばされております。(マネタリズムからリフレーション政策に変わったことは、描きたくなかったのかも知れませんね。)
サッチャー政権末期の、人頭税の導入とその反対での挫折。選挙に負けてダウニング10を出て行く時の寂しさ。

これらのエピソードが、サッチャー氏の妄想と織り交ざりながら展開していくシナリオは、ちょっと判りにくくもありますが、エピソードそのものは時系列にまとめられていますから、迷うことはありません。
しかし、この映画を単なる名宰相・マーガレットサッチャー政治の伝記映画だと思って見ると裏切られた感じがするかも知れませんね・・・

すなわち、製作者は「痴呆」というか「老いて行く」とはどういうことなのか、過去の妄想と現実が入り混じり、次第に自分を見失っていくということがどういうことなのか、サッチャー元英国首相という人物を通して、解説するのではなく、鑑賞者自身に体験させようと試みたのではないかと思います。

サッチャー役のメリル・ストリープ氏の見事な演技。そしてメーキャップのすばらしさは、まさに私の生きた時代の、あのサッチャー首相であり、老いた演技はまさに現在のサッチャー氏に見えてきます。(私も老いたものだと感じさせられますね)

最後のシーンで、ヘルパーが「今日も議会に出かけますか?」などと意地の悪い言い方をサッチャー氏にぶつけます。「いえ、今日は行かないわ」などと答えるサッチャー氏の毅然とした言い方。
「痴呆」になったからって、それが何なのだ・・という現在を生きるマーガレット・サッチャー氏に、なぜか心の中で拍手を送りました。

だって、誰でも通る人生なのですからね。

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