2013年2月8日金曜日

オバマ大統領の2期目の就任演説

産経に、リチャード・ハロラン記者の評価が掲載されていました。
オバマ大統領2期目の就任演説に、安全保障に関する表明が足りないというものです。そして、それが「二流の指導力をさらけ出すもの」となかなか手厳しい指摘でした。

オバマ大統領の安全保障に関する今回の演説は、「米国は、恒久的な安全と平和のために終わりのない戦争が必要だとは思っていない」と述べ、さらに「米国は 強力な同盟関係の要であり続ける。米国はアジアからアフリカ、アメリカ大陸、中東に至るまで、民主主義を支援する。米国の国益と良心に基づけば、自由を求 める人々のために行動することは当然だからだ」と演説しました。

ハロラン氏は、この就任演説を過去の大統領の就任演説と比較して述べています。
1961年のケネディ大統領は「全ての国に知らしめようではないか。他国がどう考えようと、米国は自由を繁栄させるためには、いかなる代償も払い、どんな重荷にも耐え、あらゆる困難に打ち勝ち、友人たちを支え、敵と戦うということを」と演説しました。

そして1985年のレーガン大統領の演説は「ソ連が人類史上類を見ない軍備増強を行った」という内容で始まり、「米国は自由と安全と平和に対する責任を果たす。この決意に揺らぎはなく、他国が疑いを挟む余地もない」と、ソ連に対する警告のような結びとなっています。

さらに、オバマ大統領の2009年の就任演説とも比較しています。
「国防について、米国の安全か理想かという二者択一は誤りであり、拒絶する。建国の父たちは想像もできないような危機に直面し、法の支配や人権を保障する 章典を起草した。それを何世代にもわたる人たちが血の代償を払って拡大してきた」と述べ、そして「こうした理想は今でも世界を照らしている。米国がこの理 想を目先の都合で捨てることはない」と結んでいます。

アメリカは、戦うことを「良し」とする国是だったはずです。それは「アメリカこそ正義」という自負があるからでしょう。しかし、今回のオバマ演説にはそれが見られないのです。
「恒久的な安全と平和のために終わりのない戦争が必要だとは思っていない」と述べたことで、逃げ腰のアメリカが見えてくるからです。
平和の維持とは「終わりなき戦い」であることは少し考えれば判るでしょう。だから軍隊が必要なのであり、「備える」ことが平和維持と同じ意味を持つわけです。
そこで「そのような戦いから逃げる」ような演説をしてしまったが故に「二流の指導力」と言われてしまう結果になったようですね。

太平洋戦争で、アメリカから徹底的に叩かれた日本。敗戦と進駐の中で、経済再生から始めた日本。平和国家の日本が平和であったのは、アメリカの軍事力があまりにも強大だったからではないでしょうか?
アメリカの正義から見れば、逆らった日本の正義は間違いであり、アメリカによって「日本は正しく復活した」と言いたいところでしょう。

しかし、そのアメリカが病んでしまったのです。揺るがないアメリカの正義の発露は、「プロテスタンティズム」にあったと思います。しかし、それがいつのまにかユダヤ主義になってしまったのです。
国境を越えて資金を動かし、莫大な利益を上げる金融界。それをユダヤ主義と言っていいかどうかは判りませんが、地中海貿易から始まる「プロフィットの追及」という研究が、それを可能にしてきたわけです。
ユダヤ主義を悪いとは思いません。しかしそれはユダヤに任せておけばいいのに、アメリカ国民が皆この方向に走ってしまいました。インターネット金融という鉄火場を、金融工学などと名付けて・・・

自らが他よりも働き、多くの人たちと責任のある協力をして、そしてその連鎖で社会を豊かにする発想。それが「プロテスタンティズム」ではなかったのですか? そのための民主主義であり、そのための自由だったはずです。そしてそれが「アメリカの正義」だったはずです。
日本は、アメリカが建国するずっと前から、同じ正義を信じ、その実践をやってきたのです。その正義のために、多くの血も流したのですよ。
日本は「プロテスタント」ではありません。「神道」なのです。しかし正義のエッセンスはほとんど同じと考えていいのではないでしょうか?

安倍首相は「日本を取り戻す」と言いました。それは、この正義を取り戻すという意味だと思います。アメリカも「プロテスタンティズム」を取り戻して欲しいですね。
その時、日米同盟が本当に機能するはずです。

他よりも多く働くこと。そして責任のある協力を通して、その連鎖で社会を豊かにすることを軽蔑するグループがあります。
その指導者が独裁を構築し、国民を不幸にし、争いの種をまき散らします。

正義の戦いには「終わりはない」と考えた方がよさそうですね。

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