2012年2月11日土曜日

亡くなられた若き2人の女性に、感謝・・・



今年1月、東日本大震災で犠牲になられた三浦亜梨沙さんのご遺体が、南三陸町の町内のがれき置き場で見つかっていたことが6日に判りました。

三浦亜梨沙さんは宮城県南三陸町役場の職員で、あの大地震の直後、家族に宛てた携帯電話のメールで、「無事ですか?!6メーターの津波きます。役場流されたらごめん」と書き送っていたということが、産経に出ておりました。

亜梨沙さんは遠藤未希さんの親友。そして同じ役場の職員でした。遠藤未希さんは最期まで防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続けながら、自らは津波から逃げ切れず被災し亡くなられた方です。
共に24歳。剣道を通じて小学生時代からの親友だったとか。

母親の元に残されたこの1通の携帯電話のメールが、娘の最期の言葉になったということで、現在も大事に取ってあるとの事。
そしてこのメールの言葉を見るとき、何かそこに覚悟が感じられませんか?

「役場流されたらたらごめん」という言葉には、役場が流されたら自分も流されること、しかし職員である自分は最後まで町民避難の仕事をしなければならないこと、町の人々より先には逃げられないことを暗に語っているのではないでしょうか?
そしてその場合、自分が被災し死ぬかもしれないことを、母親に対する申し訳なさから「ごめん」という言葉が使われているように感じます。

親友である遠藤未希さんは、三陸町の防災対策庁舎から最後まで防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になられた方です。
若干24歳で、しかも女性。突然の被災とその恐怖の中で、どうしてこの2人が、公に殉じる覚悟を持って働き続けられたのか、その答えは、もしかしたら二人とも「剣道」の選手であったこと・・かも知れません。

剣道は日本の武道。他の国にはありません。そしてこの「道」とは「人の道」のこと。即ち人間の成長において精進することを「道」と表現します。
剣道は剣の使い方を習得する中で、人間としての精進が行われることを意味し、それが華道になれば、花を生けることで人間としての精進を求めることを意味します。
柔道も合気道も同じ意味を持ち、欧米の概念である「スポーツ」とは異なっているわけです。

剣道は武器を扱う武道です。ですからその使い方が教え込まれます。公(おおやけ)のために使うということを。
実際に彼女たちがどのように学んだのかは判りませんが、みごとにその精進がなされていたのではないでしょうか?

言葉で説明されることでもなく、皆で話し合うことでもなく、剣道を通して「公に殉じる心」が育まれて行くとしたら、いまだ日本の武道には力があるということになります。
そしてこの武の心こそ、クールジャパンの本当の意味でしょう。

なk日本を日本たらしめた武道。その真意がスポーツごとき「勝てばいい」だけのものではないこと。それが判らなくなってしまった時、相撲も柔道も、異質なスポーツになりさがってしまいました。

武道とは、命をともなうものであることを身をもって示してくれたような、そんな若き2人の女性に・・・心から哀悼の意を表すとともに、感謝を申し上げます。

それに引きかえ、為政者たちの・・・このあとは書きたくありませんね。


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