どうしても尖閣諸島近辺、東シナ海への出口が欲しい中共です。
台湾の占領になかなか目処が立たない中、東シナ海の略奪に人民解放軍がやっきとなるのは当然のこと。
南シナ海の略奪には、漁船に化けた軍艦を事故に見せかけてスプラトリー諸島に避難させ、それを救助するという触れ込みで軍隊を上陸させて乗っ取ったのは最近のこと。
アメリカが尖閣諸島は沖縄とともに日本に返還したとする声明を出したことと、偽装漁船の衝突事件で日本の反中感情が盛り上り、東日本大震災で自衛隊への必要性が認識されつつあることで、しだいに中華思想の本性を現してきました。
どうやら今度は航空戦略を使ってきたようです。
尖閣諸島を中共の領土と主張する中共。その主張のもとでは「中共軍機の飛行活動は、完全に国際法や国際慣例に合致している」との人民解放軍の勝手な解釈となるわけで、「中共近海上での航空自衛隊機による偵察活動は、前年同期比で44%も増えた」と発表し、「中共の安全利益を損ねている」と主張しました。
もちろん日本側が、「領空侵犯の恐れがある中共軍機が増え、航空自衛隊の緊急発進(スクランブル)が急増した」との記事への反論でしょうけどね。
尖閣諸島には、明治初頭(1895年)から開発され大東亜戦争の直前まで日本国民が住んでいた場所です。日本が戦争に負けて、しばらく無人島になっていました。
それからしばらくしても、尖閣諸島での生産活動再開は経済的に成り立たず、人は住んでいませんでした。
しかし現在もその島の持ち主が日本におります。
中共が尖閣諸島近海を中共の領土と言い出したのは1968年以降のこと。表面はガス田があることから言い出したということになっていますが、東シナ海の領有を策謀した、我々日本人にはとても気付かない長期戦略だったようです。ガス田は言わばダミーの戦略。
そしてアメリカ・ニクソン大統領が北京を訪問して、米中国交が始まったのは1971年7月15日。そしてアメリカは台湾の中華民国を捨ててしまいました。
日本の田中角栄首相が北京を訪問して、日中国交正常化に踏み切ったのは、その約1年後の1972年9月29日。アメリカと同様に台湾・中華民国切捨てです。
そしてその台湾の蒋介石総統が無くなったのは1975年の4月5日。死因は心臓麻痺のようですが、もしかしたら中共が殺したとも言えるかも知れません。捨てられることで・・・享年87歳。
かろうじて蒋介石氏よりも長生きした中共の毛沢東氏。その翌年の1976年9月9日に亡くなります。
ここから長い中共の戦略がスタートしたようです。
毛沢東氏の後に実権を握ったのはトウ小平氏。「ねずみを捕まえる猫なら、白でも黒でもいい」と呪文のようなことを言って、中国人に「金を稼げ」と号令します。
このころ、日本は高度経済成長の真っ只中、山口百恵さんとか森昌子さんが活躍していた時代です。
それを知っているトウ小平主席、なんとかこの日本の金を中共発展の資金に使えないだろうかと策を練ったのではないでしょうか?
「日中友交」という言葉で日本から技術の取り込み、援助金の引き出し、企業誘地など、本当にさまざまな策略がなされました。
この時トウ小平氏は、「尖閣諸島問題は一時棚上げにして、先ず友好を進めましょう」などと甘くささやき、思わずそれに乗ってしまった・・・日本の国民に選ばれたダメ政治家たち。
もともと日本の領土であり、世界的にもそれが認められていた尖閣諸島。それがこの一言で領土問題にされてしまったのです。
安い人件費と広大な消費市場の幻想に目がくらんだ日本のいくつかの製造業も、資金、技術を惜しげもなく中共に差し出してきました。トウ小平の目論見は的中し、経済発展を遂げた中共。
時は流れて、もう21世紀。
日本は20世紀後半に戦争忌避の姿勢となって、妄想平和を唱えながら惰眠をむさぼってきましたが、ついにそれでは収拾しない事態が巻き起こってきました。
尖閣諸島海域に、中共がチョッカイを出し始めて約50年。
中共の新聞が先ず「東アジアの海上は軍事衝突が近づいている」との社説を掲載しました。
そして南シナ海と東シナ海の各国に対して「領有権争いを棚上げし、共同開発するという中共の提案を関係諸国が受け入れず、米国を後ろ盾に中共を屈服させようとしている」と因縁をつけてきます。いかにも自分の侵略は正しいとする中華思想(身勝手)の国家・中共。
そこには、日本が再軍備をする前に叩いておこうとする戦略と、国内の不満を日本にぶつけ、ガス抜きをしようという、帝國手法を踏襲しているようです。そして挑発によって最初の一発を自衛隊に打たせたいと考えているのかも。あの盧溝橋事件の時のように・・・
尖閣諸島から沖縄、そして戦争になればグァムあたりまでを制海・制空圏にしようという企みでしょう。
すかさずアメリカは「日中軍事衝突が起きた場合、米国はあくまで日本の防衛を助ける」とのランド研究所の報告がなされましたが、あくまでもアメリカの太平洋戦略上の都合でしょう。
ともかく日本は、先ずは国内の反日勢力である民主党左派、自民党左派、そしてマスコミなどを制して、急激な再軍備に向かうしか生き残る手法は無いでしょう。
もっともその前に、早く民主・反日政府を止めさせないと・・・
戦争に反対し中共に媚を売れば、結局「戦争の反対=虐殺」が待っているだけでしょうから。
南シナ海の略奪には、漁船に化けた軍艦を事故に見せかけてスプラトリー諸島に避難させ、それを救助するという触れ込みで軍隊を上陸させて乗っ取ったのは最近のこと。
アメリカが尖閣諸島は沖縄とともに日本に返還したとする声明を出したことと、偽装漁船の衝突事件で日本の反中感情が盛り上り、東日本大震災で自衛隊への必要性が認識されつつあることで、しだいに中華思想の本性を現してきました。
どうやら今度は航空戦略を使ってきたようです。
尖閣諸島を中共の領土と主張する中共。その主張のもとでは「中共軍機の飛行活動は、完全に国際法や国際慣例に合致している」との人民解放軍の勝手な解釈となるわけで、「中共近海上での航空自衛隊機による偵察活動は、前年同期比で44%も増えた」と発表し、「中共の安全利益を損ねている」と主張しました。
もちろん日本側が、「領空侵犯の恐れがある中共軍機が増え、航空自衛隊の緊急発進(スクランブル)が急増した」との記事への反論でしょうけどね。
尖閣諸島には、明治初頭(1895年)から開発され大東亜戦争の直前まで日本国民が住んでいた場所です。日本が戦争に負けて、しばらく無人島になっていました。
それからしばらくしても、尖閣諸島での生産活動再開は経済的に成り立たず、人は住んでいませんでした。
しかし現在もその島の持ち主が日本におります。
中共が尖閣諸島近海を中共の領土と言い出したのは1968年以降のこと。表面はガス田があることから言い出したということになっていますが、東シナ海の領有を策謀した、我々日本人にはとても気付かない長期戦略だったようです。ガス田は言わばダミーの戦略。
そしてアメリカ・ニクソン大統領が北京を訪問して、米中国交が始まったのは1971年7月15日。そしてアメリカは台湾の中華民国を捨ててしまいました。
日本の田中角栄首相が北京を訪問して、日中国交正常化に踏み切ったのは、その約1年後の1972年9月29日。アメリカと同様に台湾・中華民国切捨てです。
そしてその台湾の蒋介石総統が無くなったのは1975年の4月5日。死因は心臓麻痺のようですが、もしかしたら中共が殺したとも言えるかも知れません。捨てられることで・・・享年87歳。
かろうじて蒋介石氏よりも長生きした中共の毛沢東氏。その翌年の1976年9月9日に亡くなります。
ここから長い中共の戦略がスタートしたようです。
毛沢東氏の後に実権を握ったのはトウ小平氏。「ねずみを捕まえる猫なら、白でも黒でもいい」と呪文のようなことを言って、中国人に「金を稼げ」と号令します。
このころ、日本は高度経済成長の真っ只中、山口百恵さんとか森昌子さんが活躍していた時代です。
それを知っているトウ小平主席、なんとかこの日本の金を中共発展の資金に使えないだろうかと策を練ったのではないでしょうか?
「日中友交」という言葉で日本から技術の取り込み、援助金の引き出し、企業誘地など、本当にさまざまな策略がなされました。
この時トウ小平氏は、「尖閣諸島問題は一時棚上げにして、先ず友好を進めましょう」などと甘くささやき、思わずそれに乗ってしまった・・・日本の国民に選ばれたダメ政治家たち。
もともと日本の領土であり、世界的にもそれが認められていた尖閣諸島。それがこの一言で領土問題にされてしまったのです。
安い人件費と広大な消費市場の幻想に目がくらんだ日本のいくつかの製造業も、資金、技術を惜しげもなく中共に差し出してきました。トウ小平の目論見は的中し、経済発展を遂げた中共。
時は流れて、もう21世紀。
日本は20世紀後半に戦争忌避の姿勢となって、妄想平和を唱えながら惰眠をむさぼってきましたが、ついにそれでは収拾しない事態が巻き起こってきました。
尖閣諸島海域に、中共がチョッカイを出し始めて約50年。
中共の新聞が先ず「東アジアの海上は軍事衝突が近づいている」との社説を掲載しました。
そして南シナ海と東シナ海の各国に対して「領有権争いを棚上げし、共同開発するという中共の提案を関係諸国が受け入れず、米国を後ろ盾に中共を屈服させようとしている」と因縁をつけてきます。いかにも自分の侵略は正しいとする中華思想(身勝手)の国家・中共。
そこには、日本が再軍備をする前に叩いておこうとする戦略と、国内の不満を日本にぶつけ、ガス抜きをしようという、帝國手法を踏襲しているようです。そして挑発によって最初の一発を自衛隊に打たせたいと考えているのかも。あの盧溝橋事件の時のように・・・
尖閣諸島から沖縄、そして戦争になればグァムあたりまでを制海・制空圏にしようという企みでしょう。
すかさずアメリカは「日中軍事衝突が起きた場合、米国はあくまで日本の防衛を助ける」とのランド研究所の報告がなされましたが、あくまでもアメリカの太平洋戦略上の都合でしょう。
ともかく日本は、先ずは国内の反日勢力である民主党左派、自民党左派、そしてマスコミなどを制して、急激な再軍備に向かうしか生き残る手法は無いでしょう。
もっともその前に、早く民主・反日政府を止めさせないと・・・
戦争に反対し中共に媚を売れば、結局「戦争の反対=虐殺」が待っているだけでしょうから。
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