吉田清治氏のフィクションは明白になり、朝日新聞社は、その「誤報」を謝罪しました。しかし、社長会見での謝罪であることとか、「それでも慰安婦の問題はあった」などという言葉も飛び交いましたが、ともかくこの件で朝日新聞の信用は大きく損なわれ、購読の取り消しやら、広告の取り消しが生じているようです。
朝日新聞に広告を掲載した広告主に対して、その広告主の顧客からクレームがついたりし始めていて、朝日新聞を読んでいるなどと言えない日本社会の雰囲気も出始めています。
しかし、広告主へのクレームの電話の一部は、読売新聞社など他紙の「やらせ」であったりもしているという噂が飛び交っていて、広告獲得のための「仁義なき戦い」が始まっているようです。
さて、吉田清治氏は従軍慰安婦の強制連行はフィクションだったとだいぶ前に認めましたが、それをまだ認めていない方が居られます。
吉見義明中央大学商学部教授です。、日本の歴史研究者であり、日本史研究会に所属する彼は、現在は68歳、団塊の世代です。
彼は今も日本の慰安婦に関する論争において、軍政策としての「強制連行」があったと主張しております。
彼の言う「強制連行」とは、1910年に出来た「婦女売買に関する国際条約」の中の第2条にある強制連行の定義、「詐欺・暴行・脅迫・権力乱用などにその他一切の強制手段」を指しています。
そしてこの条約は日本も締結しておりました。
つまり、日本軍に従って、ついて回っていた慰安婦(キャンプフォロワー)は、このような国際条約違反で集められていた・・とするものです。
吉見義明教授は、1992年1月11日の宮沢喜一首相が訪韓する直前に朝日新聞を使って「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」などという記事を載せました。
同年1月13日、宮沢内閣での官房長官であった加藤紘一氏が「お詫びと反省」の談話を発表し、そして宮沢首相が14日に「軍の関与を認め、お詫びしたい」と述べてしまったのです。
吉見教授の解釈は、「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」と言うもので、「軍の関与は明白であり、謝罪と補償をすべきだ」として、それを大きく報道したのが朝日新聞であったわけです。
しかしこの吉見教授が使った資料が、「陸支密大日記」に閉じ込まれていた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(昭和13年3月4日、陸軍省兵務局兵務課起案、北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長宛)というもので、その内容は「内地においてこれの従業婦等を募集するに当り、ことさらに軍部諒解などの名儀を利用しために軍の威信を傷つけ、かつ一般民の誤解を招くおそれある。憲兵および警察当局との連繋を密にし軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たく」というものだったことが明らかになり、軍の強制などとは反対の指示書だったことが判りました。
つまり同じ関与でも、「善意の関与」であったわけです。
これに対して、吉見教授は次の2点で自説の正当性を今だに主張しています。
(1)通達の主旨は派遣軍が業者を管理すべしというものであり取り締まりの励行ではない。
(2)朝鮮や台湾でこのような書類が見つかっていない。
そしてこのことから、「慰安所は事実上組織的な『性奴隷』だ。慰安婦たちは強圧による拉致や誘拐で募集され、監禁された」と述べて、「安倍総理は狭義の強制性という言葉を動員して強制動員を否認しているが、中国の山西省での裁判資料やフィリピンの女性たちの証言、オランダ政府の資料などを見れば、日本軍や官吏による強制動員が行われたことは明らかだ」として、「安倍総理と政府は、慰安婦の強制動員に伴い、女性の尊厳性を無視したことに対し、明確な立場を示して法的責任を負わなければならない」と言っているようです。
同じ軍隊の慰安婦について語る秦郁彦東大教授は、「公娼制において売春に従事していた女性を娼妓と呼び、戦地における娼妓が慰安婦であった。基本的には同じ公娼制の延長戦上にあった。」と述べています。
これに対して吉見教授は、「公娼と慰安婦制度に関連があるということは言えるが、明らかに異質のものだ」として、これを否定し、「内地の公娼制度も性奴隷制度であるが、慰安婦制度はそれよりももっと性奴隷制度の性格が強いものだ」などと述べていると言うことです。
この吉見教授が引用している「中国の山西省での裁判資料」がどこまで信用出来る者かははっきりしません。また、フィリピン女性の証言がどのような雰囲気の中でおこなわれたものであるかについても判りません。オランダ政府の資料と言うのはどういうものなのかも判りません。
戦争が終わって、敗戦国日本の兵隊は、さまざまな謂れなき罪で処刑されています。その一つ一つを事実として判断することが、日本のサヨクの活動の根拠となっていることは判っています。
その代表が東京裁判なのでしょう。
東京裁判は、その統括であったマッカーサー氏自身が、後の公聴会で「あれは芝居だった」と述べております。芝居と言っても、太平洋戦争を終結するためには仕方がなかったという意味も含まれているのかも知れません。
しかし「芝居」と言われればそこで公表されたもの(証言など)は真実ではない可能性が高いということになります。
敗戦国日本の将兵に対して行われたアジア各国でのリンチもどきの裁判も、参考にならないでしょう。
このようなことを加味して、吉見教授にはさらなる研究をして欲しいですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿