ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の紙上に、「原子力のパラダイムシフト」と題する記事が出たと言うことです。(産経)
「被曝リスクは誇張され過ぎている。我々はどれほど愚かだったのか」ということが書かれた記事で、放射能リスクを考え直すという記事のようです。
コラムニストのホルマン・ジェンキンス氏と言う方がこの記事を書いたWSJの編集委員だそうです。1992年からWSJ上にコラムを書き始め、1997年にはジェラルド・ローブ賞」という賞をもらったという記者。
現在は「ビジネスワールド」という欄に記事を書いているそうで、そこでこの原子力のパラダイムシフトという意見を書いているとか。
「『放射線被曝はいつも被曝量に直接比例して危険である』という根拠のないドグマ(独断)に、世界は1950年以来、屈服してきた」と述べて、その意味を「秒速1フィートで発射された弾丸で死ぬ確率は、秒速900フィートで発車された弾丸で死ぬ確率の900分の1だと言っているものだ」と解説しています。
私のブログでも、何回か放射能の危険について、誇張された危機意識が間違っていることを指摘してきましたが、ついにウォールストリート・ジャーナルの記事にも同じような意見が述べられ始めたようですね。
では、なぜこのような誇張された危機意識を我々は植え付けられたのか、そのことについてはこの記事には何も書かれておりません。
しかし、重要なのはその点ではないでしょうか。
原子力は、そのスタートは原子爆弾でした。物理学では、原子崩壊が連鎖反応を起こし一気に崩壊すれば莫大なエネルギーが瞬時に発生することは予言されていました。
そこで第二次世界大戦のさなか、ナチスがこれを作ったら人類は大変なことになるというわけで、アメリカは必死でそれをナチスより先に実現しようとしたのです。
ナチスから盗み出した原爆の設計図は、ウランを濃縮して90%以上の密度にして、臨界を起こさない2つのブロックに分け、それをTNT火薬でぶつければ爆発が起きるとなっていました。
多くの原子物理学者もそれを認め、ウランの濃縮を遠心分離機で行い、30%以上の濃度に上げるためにテフロンの容器を使ってフッ化ウランを濃縮、90%以上の濃度のウランを作ったのはアメリカでした。
(日本はテフロンが作れず、濃縮は30%まででした。しかし仁科博士はそれでも爆発させることが出来るとして、全く違う設計をしていたと聞きます。しかし昭和の陛下は、そのような爆弾を作ることを許しませんでした)
フォン・ノイマン博士は爆縮での爆弾を設計して、それはネバダ砂漠で実験をしました。が、広島の原爆は実験もしないでパラシュート投下のナチスの設計した爆弾で、ぶっつけ本番だったようです。
この原子力を、発電に応用することは物理学者の最初の研究動機でした。ですから戦後すぐに発電への応用が始まったのですが・・・
アメリカは原爆を戦争抑止の兵器にしようと画策したのです。そしてこの原爆をソビエト連邦も実験し成功したために、冷戦構造という新たな時代が始まったのです。
そのために核技術の拡散を抑止しなければならなくなり、その恐怖の宣伝がハリウッドの映画を通して行われました。
原爆製造に功労した学者にノーベル賞を与えようと試みたアメリカは、ここでほとんどの学者が日本の湯川秀樹博士の論文、中間子論を参照していたことから、仕方なく先に湯川博士にノーベル物理学賞を与えるように動いたのです。湯川博士を表舞台に出して、核の技術の拡散を抑えたわけですね。
さらにハリウッドで作られた恐怖は、人類の破滅であり放射能の恐怖でした。オカルトチックなこれらの映画は、世界中の人々を洗脳するのに十分すぎるくらいの効果を発揮したのです。
「渚にて」という映画は、放射能を黴菌かウイルスのような扱いで描いていたことを覚えています。
こうして70年、英国とフランス、そして中共やインド、パキスタンなども核実験を行いましたが、何とか核による平和均衡は保たれてきたのです。
ふり撒かれた放射能の恐怖は、やがて原子力発電の燃料問題に発展します。しかもその恐怖を「世界革命という妄想」にとらわれたグループの使う大義となり、反核・原発反対運動に受け継がれてしまいます。
核物質は無害ではありません。微細な塵となった核物質が体内に入って、どこかに留まってしまうと核分裂の刺激が細胞に働いて、癌などの病気を引き起こすことは確認されています。しかし確率的にはかなり低いはずです。
また、放射線を浴びて皮下組織をやられると、造皮機構がやられて皮膚呼吸が出来なくなり死に至るケースもあります。これは強烈な日焼けと同じですが、原発から出てくる放射能などでは致死的やけどにはならないはずです。
地球上に無害な状態で埋蔵されていたウラン鉱石。それを無理やり集め濃縮しておこした核分裂。放射能の廃棄物は再び元のように分散して地球に戻せば良いわけですね。
人工的に作ったプルトニウムは、その劣化は早く数十年で使用できなくなるそうです。それはアメリカが原発に沸騰水型か加圧型原子炉しか作らせなかったことからも判りますね。この原発でないとプルトニウムが作れなかったからでしょう。安全な黒鉛炉ではプルトニウムは作れません。
液体窒素で超電導が可能になった今、超電導コイルでリニア新幹線が技術的に可能になりました。つまり超電導が物理学からエンジニアリングに変わってきたのです。と、言うことは「核融合炉」も技術的に可能になってきたことを意味します。
またこれは同時に強力なレーザー砲の開発も可能だと言うこと、すなわち核ミサイルを迎撃する精度が100%に限りなく近づくわけです。お解りのように、もはや核兵器の時代ではなくなってくるのです。
技術が出来てもそれにブレーキを掛けるのは常に政治です。まだ「核による均衡」が政治的に有効であるならば、次の技術の出番は、残念ながら無いわけですね。
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