菅降ろしが進む中、解散総選挙を意識して政界が複雑な動きを見せ始めました。
一つが「反復興増税」系の議連、そしてもう一つが「地下式原発の推進」系の議連だそうです。ともに大震災が提起したテーマで、あたかも英霊がそうさせたようにも見えませんか?
ぐずぐずと党利党略、利益誘導で堕落してしまった政界。その隙に「サヨク陰険売国派(即ち中共シンパ)」にさかんに売国法案を作られる体たらく。まったく眼も当てられない政界に、打ち下ろされた天からの一撃。3万人を超える犠牲者を出してまで、日本人の潜在性をかき回された日本国民。世界中がその大震災後の挙動に驚嘆した直後、菅政権の原発対処のまずさに嘲笑されました。
菅首相が権力にしがみついているとは思いませんが、その裏でサヨク陰険売国派が着々と日本を中共に売る法案を作り、震災のドサクサで立法化している事実だけは我慢が出来ませんね。
何とか解散総選挙に持ち込みたいものです。
不信任案が通れば総辞職か解散ですが、歴代首相は当然「解散」を選びました。その理由は「何を言うのか、私たちは必死でやっているし国民もそれは認めている!」ということです。
もし総辞職なら、「不信任ごめんなさい」と、自分の非を認めたことになるわけで、民主党からも「面汚し」となじられるわけですね。
さて菅首相、「外国人から献金をもらい、大災害には何の対処も出来ず、原発では初動体制を遅らせた張本人となり、集まった義捐金を配ることもせず、震災後の経済緊急対策すら何も出来ていない無能無気力内閣」ということを認めて総辞職を選べるでしょうか?
そういうわけで、解散総選挙を意識せざるを得なくなってくると、さあ国民の意識が気になりだします。増税一本やりの谷垣は人気がないなどと自己中心的な議員も、経済、エネルギーを真剣に考えている議員も、いっしょくたになって求心力を求めます。
そして出てきた「反復興増税」と「地下式原発の推進」のスローガン。地下式原発とは高温ガス炉のことを言っているのでしょう。反原発のサヨクと真っ向勝負。原発恐怖症に駆られた一般国民を正しく誘導できるか、恐怖心を煽る反原発サヨクのごまかしに負けるか、いよいよ勝負です。
反復興増税には、自民党の安倍晋三元首相を会長とする「増税によらない復興財源を求める会」が中心となるようです。それに賛同者として森喜朗元首相、古賀誠元幹事長、中川秀直元幹事長ら衆参国会議員53人が加わって、震災国債発行(無利子国債?)と日銀の全額買いオペレーションを元に、物価安定などの政策を盛り込んだ決議案文を作りました。
そして民主党も組み込める「超党派の議員連盟」が、まったく同じ決議文で立ち上がりました。メンバーは西岡武夫参院議長、みんなの党の渡辺喜美代表を核にして、これから議員を集めるようです。決議文を同じにすることで、選挙後は一緒に活動できる土俵が作られているとか。
西岡議長は、「菅首相は(この国難という)急流を渡る気がないと思うし、渡るだけの器量がない。原発の事故の問題の処理も菅さんの下でやったら、どうなるかわからないので心配だ」と延べております。同感ですね。
さらに今度は原発の必要性を訴える議連です。「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」と言う名の議連。
事故の封じ込めが可能な地下式原発の推進を目指す超党派の勉強会とのことですが、沸騰水型では地下式は無理。乾式原発で安全性の高い高温ガス炉の勉強会でしょう。もともと高温ガス炉は地下埋め込み式で設計されています。
http://www.mhi.co.jp/products/detail/high-temperature_gas-cooled_reactor.html
この勉強会を昔から主導してきた「たちあがれ日本」党の平沼赳夫代表が会長に就き、鳩山由紀夫前首相、羽田孜元首相、自民党の森、安倍両元首相が顧問に就いた議連。
民主党の樽床伸二元国対委員長、自民党の菅義偉元総務相が参集し、「国難対処のために行動する『民主・自民』中堅若手議員連合」(民自連)も加わって超党派の議連になったもの。
気になるメンバーもおりますが、何とか原発の継続をあと20年は維持したいもの。
国民を納得させ、実験炉から実用炉へ移行させ、都市近郊設置型の原発を実現した上で、福島などに敷設する高効率型の太陽光発電の登場を待つ体制がどうしても必要です。
それには、鳩山由紀夫前首相のような左傾の国民を説得する技術も必要ということでしょうか?
ともかく、政界再編が始まったようです。これから菅首相が解散のゴングを鳴らす環境は整っていくことでしょう。
未来が見えてきましたね。
太陽光発電の設置を地方の広い土地に求め、量子ドット高効率太陽光発電の開発資金を確保し、それまでの期間は安全な高温ガス炉でプルトニュウムを燃やします。
どこまで溜まるかわかりませんが、高濃度廃棄物の処理を宇宙空間を使った10万年ループ軌道に求め、その処理ビジネスは宇宙利用ビジネスとして構築され、雇用を生み出すようになるでしょう。
太陽光発電に絶対必要な二次バッテリーは電気自動車のネットワークに求め、スマートグリッドのようなシステムが電気代を安定させるでしょう。
それに伴うさまざまな周辺技術の発展が、新たなる小規模ビジネスを生み出し、そこが人々の就業場所になって行くことでしょう。
少なくとも、産業主義よりも生活のしやすい社会に向けて、通貨システムも経済も大きく変わっていくことでしょう。
そのさきがけとなる衆議院選挙。すべては菅首相の「解散」のひとことにかかって来たようですね。
2011年5月31日火曜日
2011年5月30日月曜日
麻生太郎元首相の菅首相批判、しかし元はと言えば・・
28日、国士舘大学で講演した麻生元首相。民主党・菅政権の危機意識や政治姿勢について「極めて稚拙だったのではないか。内閣不信任案の対象になる一番大きな要素だ」と批判しました。しかし、もとはといえば民主党に政権を渡した麻生政権が稚拙だったことが原因だったのではないでしょうか?
小泉政権のあと、安倍、福田、麻生と続いた自民党政権の稚拙さは、経団連の要望と国民の希望のギャップに気づかず、経団連の中共迎合要求を呑んだことでしょう。
戦後60年、自民党と経団連は一心同体で活躍してきました。そして国民の生活を向上させ、雇用と開発を実現し、世界第二位の経済大国にのし上げました。このことは、すばらしいことと評価していいでしょう。しかし、経済界と国民との遊離は、20年も続く不況と賃金下落(つまりデフレ)、そして国際競争力の低下の原因を日本国民の人件費の高さに位置づける経済界の間違った判断だったのではないでしょうか?
国際競争力が低下した真の原因は、デジタル化にあります。アメリカとの競争の中で、コンピュータの社会的普及とそれに伴うソフトウエア開発の生産性をサボったこと。そして軍事無き政府の弱腰外交が、日本のソフトウエアの標準化をアメリカ依存にしてしまったこと。
財界が、愛国心を捨ててグローバル化経済という流れを勝手に読み違え、人件費の安いところで生産すれば儲かるというアメリカのビジネスモデルを、工場設備まで移しながら、何の戦略も無く中共の掌中に捉えられてしまったからでしょう。
中共の草刈場となってしまった日本の経済界。その組合である経団連。そこが中共の意のままに「日中友好」などという呪文を唱えながら自民党政権を中共寄りにしてしまい、あげくのはてに日本人よりも中国人の方が「英語も出来て即戦力」などとし、雇用対象を日本国民から中共人民へシフトする売国企業までが現れる始末です。
この流れの中で、安倍首相はアメリカの前に中共に出向き、福田首相は中共の手玉に取られ、そして麻生首相も中共寄りの政策を変えられませんでした。
そしてリーマンショック。欧米はデフレ不況が来ないように盛んに自国通貨を下げ始めます。
その反動で円の高騰。日本の中小企業が大打撃で、日本人の雇用は悪化の一途。そして衆議院選挙を向かえ、反日マスコミに煽られるように民主党に政権交代したことは記憶に新しいところですね。(国民は騙されて、自民党でなければいい、となってしまった・・)
小泉首相が行ってきたアメリカ優遇の政策には批判が多いことは承知しておりますが、しかし国防をアメリカに丸投げしたままで、どうして交渉ができましょうか?
そしてその小泉首相の人気の理由は、反中共だったこと。当たり前でしょう。それに一番困った団体が、「アメリカから中共へ私利私欲で鞍替えした経団連」だったはずです。経団連のこのおぞましい行動は、かつての経済成長と同じビジネスモデルで、今後も継続させようとするサラリーマン上がりの経営陣の稚拙な経営感覚にあるのでしょう。
日本の企業は日本人の雇用と生活の向上を考えることが使命のはず。それを忘れて安易な利潤に群がるおぞましさ。
この経団連などに迎合してしまった麻生政権。せっかくアニメだとか日本のサブカルチャーを評価していたのに・・・
この裏切りに対する怒りが、あの衆議院選挙で民主党を勝たせてしまった原因ではないでしょうか?
民主党しか選べられなかった国民の悲劇。平和主義の皮を被った極左政権だったのに・・・
野党に落ちた自民党で、谷垣総裁が頑張っていますがどうも何も判っていないようです。世界の経済がどのくらい10年前と変わってしまったか、貨幣制度がどのように変わろうとしているのか、アメリカの財政赤字を、アメリカは税収で購おうなどと考えていないということが、どうして判らないのでしょうか?
このような感覚の総裁では、どんなに民主党が愚劣な政府を作っても、国民の信頼を得られるとは思いません。
エリートコースを外れた日本の若者。しかし彼らの中の多くが、新しい時代の息吹を感じ取り、それぞれの分野で自己実現の活動を始めています。
音楽、映像、手作りブランド、ネットコミュニティ・・・かつての産業主義でのバイタリティに似た、ギラギラとした眼を持って必死でのた打ち回る若者の姿があります。食えない収入、失敗続きのチャレンジ、仲間割れなど・・それでも就職などは考えず頑張っている若者のなんと多いことか。彼らは10年前までの企業経営と、その残骸を捨てているのです。(捨てられているのではありませんよ!)
未だ燃えないこのエネルギーをいかに燃やすかを考えることこそが、新しい政治家の務めではないでしょうか?
そうしないと日の丸も天皇陛下も、無意味な存在になってしまうのですよ。
それを理解した政治家が、自民党の総裁にふさわしい政治家なんですけどね。でないと、民主主義の意味がないのですよ。
小泉政権のあと、安倍、福田、麻生と続いた自民党政権の稚拙さは、経団連の要望と国民の希望のギャップに気づかず、経団連の中共迎合要求を呑んだことでしょう。
戦後60年、自民党と経団連は一心同体で活躍してきました。そして国民の生活を向上させ、雇用と開発を実現し、世界第二位の経済大国にのし上げました。このことは、すばらしいことと評価していいでしょう。しかし、経済界と国民との遊離は、20年も続く不況と賃金下落(つまりデフレ)、そして国際競争力の低下の原因を日本国民の人件費の高さに位置づける経済界の間違った判断だったのではないでしょうか?
国際競争力が低下した真の原因は、デジタル化にあります。アメリカとの競争の中で、コンピュータの社会的普及とそれに伴うソフトウエア開発の生産性をサボったこと。そして軍事無き政府の弱腰外交が、日本のソフトウエアの標準化をアメリカ依存にしてしまったこと。
財界が、愛国心を捨ててグローバル化経済という流れを勝手に読み違え、人件費の安いところで生産すれば儲かるというアメリカのビジネスモデルを、工場設備まで移しながら、何の戦略も無く中共の掌中に捉えられてしまったからでしょう。
中共の草刈場となってしまった日本の経済界。その組合である経団連。そこが中共の意のままに「日中友好」などという呪文を唱えながら自民党政権を中共寄りにしてしまい、あげくのはてに日本人よりも中国人の方が「英語も出来て即戦力」などとし、雇用対象を日本国民から中共人民へシフトする売国企業までが現れる始末です。
この流れの中で、安倍首相はアメリカの前に中共に出向き、福田首相は中共の手玉に取られ、そして麻生首相も中共寄りの政策を変えられませんでした。
そしてリーマンショック。欧米はデフレ不況が来ないように盛んに自国通貨を下げ始めます。
その反動で円の高騰。日本の中小企業が大打撃で、日本人の雇用は悪化の一途。そして衆議院選挙を向かえ、反日マスコミに煽られるように民主党に政権交代したことは記憶に新しいところですね。(国民は騙されて、自民党でなければいい、となってしまった・・)
小泉首相が行ってきたアメリカ優遇の政策には批判が多いことは承知しておりますが、しかし国防をアメリカに丸投げしたままで、どうして交渉ができましょうか?
そしてその小泉首相の人気の理由は、反中共だったこと。当たり前でしょう。それに一番困った団体が、「アメリカから中共へ私利私欲で鞍替えした経団連」だったはずです。経団連のこのおぞましい行動は、かつての経済成長と同じビジネスモデルで、今後も継続させようとするサラリーマン上がりの経営陣の稚拙な経営感覚にあるのでしょう。
日本の企業は日本人の雇用と生活の向上を考えることが使命のはず。それを忘れて安易な利潤に群がるおぞましさ。
この経団連などに迎合してしまった麻生政権。せっかくアニメだとか日本のサブカルチャーを評価していたのに・・・
この裏切りに対する怒りが、あの衆議院選挙で民主党を勝たせてしまった原因ではないでしょうか?
民主党しか選べられなかった国民の悲劇。平和主義の皮を被った極左政権だったのに・・・
野党に落ちた自民党で、谷垣総裁が頑張っていますがどうも何も判っていないようです。世界の経済がどのくらい10年前と変わってしまったか、貨幣制度がどのように変わろうとしているのか、アメリカの財政赤字を、アメリカは税収で購おうなどと考えていないということが、どうして判らないのでしょうか?
このような感覚の総裁では、どんなに民主党が愚劣な政府を作っても、国民の信頼を得られるとは思いません。
エリートコースを外れた日本の若者。しかし彼らの中の多くが、新しい時代の息吹を感じ取り、それぞれの分野で自己実現の活動を始めています。
音楽、映像、手作りブランド、ネットコミュニティ・・・かつての産業主義でのバイタリティに似た、ギラギラとした眼を持って必死でのた打ち回る若者の姿があります。食えない収入、失敗続きのチャレンジ、仲間割れなど・・それでも就職などは考えず頑張っている若者のなんと多いことか。彼らは10年前までの企業経営と、その残骸を捨てているのです。(捨てられているのではありませんよ!)
未だ燃えないこのエネルギーをいかに燃やすかを考えることこそが、新しい政治家の務めではないでしょうか?
そうしないと日の丸も天皇陛下も、無意味な存在になってしまうのですよ。
それを理解した政治家が、自民党の総裁にふさわしい政治家なんですけどね。でないと、民主主義の意味がないのですよ。
2011年5月28日土曜日
ソフトバンクのメガソーラ計画はうまく行くか
活動的なソフトバンク社長、孫正義氏。早速メガソーラに向けた「自然エネルギー協議会」を設立し、地方自治体などとの協議を始めた模様です。
大規模太陽光発電所(メガソーラー)を全国に設置すると言う計画、地方自治体も誘致活動に乗り出しました。しかしこの計画、もうひとつ盛り上がらないのは、いったいどういう計算で、どうやって事業化するのかが不透明なところではないでしょうか?
電気とは、実にややこしいエネルギーです。それを再生可能な自然エネルギーから取り出そうとすれば、ますます計算が複雑になり、やがて現実が見えなくなるのは当然のこと。
石炭とか石油、そして原子力までが、なんとか計算できて経済活動としてのエネルギー供給が可能となったようなもので、それでも今だ電気料金の計算はややこしく、そして不可解なはずです。
使用量が増えると、基本料金が変更になり、たくさん使った罰のような高額な請求がなされ、使用量が少なくなると(必死で節電すると)、急激に料金が下がったりします。
ここに再生可能エネルギーの電気買取システムなどを乗せるとますますややこしくなり、このようなややこしさが、不公平を生み出す温床になることは間違いないと思います。
そして、メガソーラ計画では、何メガワット時の発電設備を作るのか、そのためにどのくらいの広さの土地が必要なのか、発電量は曇りや雨の日を基準とするのか、それとも晴天の一番発電量の多い時を基準にするのか、夜間供給の責任をどうするのか、二次電池の設置をした時としない時、経営上どちらが有利なのか・・などについてまったく説明がありません。
場所の特定も、過去の気象条件をどこまで遡って調べるのか、その結論を出す条件はどのようなものなのか、それも伝わってきません。
伝わってくるのは、単に太陽光発電のクリーンなイメージと、脱原発という原子力発電のダーティなイメージを使った思考停止的活動のみです。
25日の孫社長の会見で、自治体が土地を提供し、ソフトバンクが資金、技術、運営面の大半を引き受けるという形になっています。
社長は「社会貢献をしたいが、赤字にならないように運営する」と述べました。黒字を確保して事業として成り立つビジネスモデルを確立し、後続の事業者が出てきて太陽光発電が普及することを期待するということです。
しかし、事業の前提として自然エネルギーで発電した電力の「全量買い取り制度」を訴えておりますから、どうしてもそこらへんに怪しい影が見えてきます。
現在の法律では、買い取り費用は電気代に上乗せされるため、国民の負担になることは間違いないようですし、アメリカの各州などでもやられている全量固定額買取制度は、普及するまでのつなぎ政策であって、やがてスマートグリッドのような時価相場制を取らないと、需要者が困ることになりかねません。
原発のコストが不透明になっていることで、いかにも太陽光発電が良いイメージで捉えられているようですが、社会インフラとしてはまだ不完全です。
スマートグリッドの方法ですと、コストの高い太陽光発電が組み込まれた電力ネットに、高温ガス炉の発電などが組み込まれますと価格が下がり、太陽光発電が不利となりますから、反原発の運動を起こして止めさせようとか、過去の事故保障もコストに入れさせようなどという不公平も出てくるかも知れません。
それでも耐えられるようなコストの太陽光発電システムが出来ればいいのですが、量子ドットの完成はまだまだ先のようですし、すぐに太陽光発電のみに頼れるエネルギーシステムへの移行はむりでしょう。
孫社長がどこまで頑張れるかは見ものですが、先行利益としての既得権などが発生しないように、また原発反対の圧力団体などに落ちぶれないように・・して欲しいですね。
大規模太陽光発電所(メガソーラー)を全国に設置すると言う計画、地方自治体も誘致活動に乗り出しました。しかしこの計画、もうひとつ盛り上がらないのは、いったいどういう計算で、どうやって事業化するのかが不透明なところではないでしょうか?
電気とは、実にややこしいエネルギーです。それを再生可能な自然エネルギーから取り出そうとすれば、ますます計算が複雑になり、やがて現実が見えなくなるのは当然のこと。
石炭とか石油、そして原子力までが、なんとか計算できて経済活動としてのエネルギー供給が可能となったようなもので、それでも今だ電気料金の計算はややこしく、そして不可解なはずです。
使用量が増えると、基本料金が変更になり、たくさん使った罰のような高額な請求がなされ、使用量が少なくなると(必死で節電すると)、急激に料金が下がったりします。
ここに再生可能エネルギーの電気買取システムなどを乗せるとますますややこしくなり、このようなややこしさが、不公平を生み出す温床になることは間違いないと思います。
そして、メガソーラ計画では、何メガワット時の発電設備を作るのか、そのためにどのくらいの広さの土地が必要なのか、発電量は曇りや雨の日を基準とするのか、それとも晴天の一番発電量の多い時を基準にするのか、夜間供給の責任をどうするのか、二次電池の設置をした時としない時、経営上どちらが有利なのか・・などについてまったく説明がありません。
場所の特定も、過去の気象条件をどこまで遡って調べるのか、その結論を出す条件はどのようなものなのか、それも伝わってきません。
伝わってくるのは、単に太陽光発電のクリーンなイメージと、脱原発という原子力発電のダーティなイメージを使った思考停止的活動のみです。
25日の孫社長の会見で、自治体が土地を提供し、ソフトバンクが資金、技術、運営面の大半を引き受けるという形になっています。
社長は「社会貢献をしたいが、赤字にならないように運営する」と述べました。黒字を確保して事業として成り立つビジネスモデルを確立し、後続の事業者が出てきて太陽光発電が普及することを期待するということです。
しかし、事業の前提として自然エネルギーで発電した電力の「全量買い取り制度」を訴えておりますから、どうしてもそこらへんに怪しい影が見えてきます。
現在の法律では、買い取り費用は電気代に上乗せされるため、国民の負担になることは間違いないようですし、アメリカの各州などでもやられている全量固定額買取制度は、普及するまでのつなぎ政策であって、やがてスマートグリッドのような時価相場制を取らないと、需要者が困ることになりかねません。
原発のコストが不透明になっていることで、いかにも太陽光発電が良いイメージで捉えられているようですが、社会インフラとしてはまだ不完全です。
スマートグリッドの方法ですと、コストの高い太陽光発電が組み込まれた電力ネットに、高温ガス炉の発電などが組み込まれますと価格が下がり、太陽光発電が不利となりますから、反原発の運動を起こして止めさせようとか、過去の事故保障もコストに入れさせようなどという不公平も出てくるかも知れません。
それでも耐えられるようなコストの太陽光発電システムが出来ればいいのですが、量子ドットの完成はまだまだ先のようですし、すぐに太陽光発電のみに頼れるエネルギーシステムへの移行はむりでしょう。
孫社長がどこまで頑張れるかは見ものですが、先行利益としての既得権などが発生しないように、また原発反対の圧力団体などに落ちぶれないように・・して欲しいですね。
2011年5月26日木曜日
シー・シェパード、恩を仇で返す・・・
「シー・シェパード」のメンバーが岩手県大槌町で、かわいいイルカを虐殺する日本人を監視していたことはご存知の通りですが、そこで3月11日にあの大震災に見舞われています。
地震の知識はほとんど持たないであろうメンバー6人。あの14時26分も乗用車で県民の行動の監視活動中だったとか。
彼らの資金は、国際的に広がりのある自然保護団体(複数)の寄付ということです。その寄付を行う個人の意識はシーシェパードの撮影したケーブルテレビのドキュメンタリー番組を見たいがためだそうです。
その番組は、自然の美しさを描き、そこに住む生き物達を愛でるもの。そしてそれを殺したり自然を破壊する人間を「悪」として描くそうです。勧善懲悪のドラマをドキュメント風に作成し、感動した視聴者に正義の寄付を訴えるというビジネス。ですから悪者が居なければ番組は成立しません。
そこに大槌町の人々の生活があったわけです。イルカを殺す目的は何か、食生活でそんな必要性があるのか・・などとまくし立てます。漁業のため、食文化なんだなどと言っても通じません。菜食主義者も多い団体ですからね。そしてそれは彼らのビジネスなのです。
寄付と言っても、ほとんど視聴料のようなもの。寄付という名目は税逃れのためでは?
大地震が起きて、あわてて津波から逃れるため高台に避難。その後、宿泊先のホテルがある約50キロ離れた遠野市に向けて徒歩で移動を始めたとか。途中で地元住民の車に乗せてもらったり、食事の提供までも受けていたメンバー6人。
そんな恩を受けたということなどオクビにも出さず、とりあえず震災の事後処理が収まるまで日本を離れていたようですね。
そして5月、瓦礫の撤去も基本部分は終わり、被災者以外の人々の生活が何とか元に戻ってきました。
そこに再び現れたシー・シェパードのメンバー。再び大槌町を訪問。イルカ漁にかかわる漁師や魚市場などをビデオやカメラで撮影しているそうです。
もちろん目的は自分達のドラマに必要な悪人として、恩ある大槌町の人々を撮影し、テレビ番組を作り、寄付を集めるというビジネスを繰り返すためでしょう。
震災の情報で出漁していた捕鯨船が災害救助に戻ったことを、シー・シェパードの勝利のごとく叫んだりしていましたから、そこらへんも感動的番組として放送するのではないでしょうか?
映像は彼らのシナリオを映像化するために必要だから撮影するだけです。
日本の新聞社が「調査捕鯨の中止」について日本人を対象にして行ったアンケート調査では、7545人(男性7046人、女性499人)からの回答を得て、その結果「調査捕鯨の中止に賛成か」については82%の人が「NO」と答えたとか。
「海上保安庁や海上自衛隊の護衛をつけた上で、あくまで実施すべきだと思うか」という問い掛けには77%がYesの回答をしているようです。
「かつてのように商業捕鯨を再開すべきか」という問い掛けは72%が賛成です。
さて、護衛艦を付けても捕鯨再開をすべきというほど、日本国民はシー・シェパードに怒っているようですが、ここまで怒っているのなら、彼らと同様にケーブルテレビかインターネットテレビを立ち上げて「反シー・シェパード」の番組を仕立てたらどうでしょうか?
番組名は「バランス・オブ・アース」。地球はバランスを保とうとする。それこそが神の真理。
このバランスを欠く行為は、いかなる大儀を掲げても、神に背く悪魔の所業である・・というのが基本主張の番組。
もちろん露骨なシー・シェパード批判などは致しません。原子力発電はこのバランス・オブ・アースに反しているかどうか、太陽光発電はバランス・オブ・アースに対して本当に安全かどうか、など、主にアセスメント系の知的番組をビジネスとして企画するわけです。
そしてその中で、生態系を守るには、過度に偏向した保護活動は好ましくないこと、そして生態系の中に人類も位置づけられることなどを訴えるのです。視聴者の感動を呼ぶような編集で・・・
新しい番組コミュニケーションの試みとして、不特定視聴者からのコメントを常時受け付け、問題点の明確化と対処の仕方を討論してゆくことが出来ればいいのではないでしょうか?
永続性(再生可能)を論じる中で、我が国の仏教思想とか、神道の言わんとすることなどを織り交ぜれば、西洋人が知りたがっている「日本とは何か」の解説にもなって、視聴者は増えるのではないでしょうか?
すべてを有料のテレビとして、「シー・シェパード」のビジネスモデルに対抗しましょう。
彼らの視聴者をも巻き込むように考えながら・・・
「これこそが情報戦、新しい戦争だ!」というモデルにもなるようにしたいですね。
地震の知識はほとんど持たないであろうメンバー6人。あの14時26分も乗用車で県民の行動の監視活動中だったとか。
彼らの資金は、国際的に広がりのある自然保護団体(複数)の寄付ということです。その寄付を行う個人の意識はシーシェパードの撮影したケーブルテレビのドキュメンタリー番組を見たいがためだそうです。
その番組は、自然の美しさを描き、そこに住む生き物達を愛でるもの。そしてそれを殺したり自然を破壊する人間を「悪」として描くそうです。勧善懲悪のドラマをドキュメント風に作成し、感動した視聴者に正義の寄付を訴えるというビジネス。ですから悪者が居なければ番組は成立しません。
そこに大槌町の人々の生活があったわけです。イルカを殺す目的は何か、食生活でそんな必要性があるのか・・などとまくし立てます。漁業のため、食文化なんだなどと言っても通じません。菜食主義者も多い団体ですからね。そしてそれは彼らのビジネスなのです。
寄付と言っても、ほとんど視聴料のようなもの。寄付という名目は税逃れのためでは?
大地震が起きて、あわてて津波から逃れるため高台に避難。その後、宿泊先のホテルがある約50キロ離れた遠野市に向けて徒歩で移動を始めたとか。途中で地元住民の車に乗せてもらったり、食事の提供までも受けていたメンバー6人。
そんな恩を受けたということなどオクビにも出さず、とりあえず震災の事後処理が収まるまで日本を離れていたようですね。
そして5月、瓦礫の撤去も基本部分は終わり、被災者以外の人々の生活が何とか元に戻ってきました。
そこに再び現れたシー・シェパードのメンバー。再び大槌町を訪問。イルカ漁にかかわる漁師や魚市場などをビデオやカメラで撮影しているそうです。
もちろん目的は自分達のドラマに必要な悪人として、恩ある大槌町の人々を撮影し、テレビ番組を作り、寄付を集めるというビジネスを繰り返すためでしょう。
震災の情報で出漁していた捕鯨船が災害救助に戻ったことを、シー・シェパードの勝利のごとく叫んだりしていましたから、そこらへんも感動的番組として放送するのではないでしょうか?
映像は彼らのシナリオを映像化するために必要だから撮影するだけです。
日本の新聞社が「調査捕鯨の中止」について日本人を対象にして行ったアンケート調査では、7545人(男性7046人、女性499人)からの回答を得て、その結果「調査捕鯨の中止に賛成か」については82%の人が「NO」と答えたとか。
「海上保安庁や海上自衛隊の護衛をつけた上で、あくまで実施すべきだと思うか」という問い掛けには77%がYesの回答をしているようです。
「かつてのように商業捕鯨を再開すべきか」という問い掛けは72%が賛成です。
さて、護衛艦を付けても捕鯨再開をすべきというほど、日本国民はシー・シェパードに怒っているようですが、ここまで怒っているのなら、彼らと同様にケーブルテレビかインターネットテレビを立ち上げて「反シー・シェパード」の番組を仕立てたらどうでしょうか?
番組名は「バランス・オブ・アース」。地球はバランスを保とうとする。それこそが神の真理。
このバランスを欠く行為は、いかなる大儀を掲げても、神に背く悪魔の所業である・・というのが基本主張の番組。
もちろん露骨なシー・シェパード批判などは致しません。原子力発電はこのバランス・オブ・アースに反しているかどうか、太陽光発電はバランス・オブ・アースに対して本当に安全かどうか、など、主にアセスメント系の知的番組をビジネスとして企画するわけです。
そしてその中で、生態系を守るには、過度に偏向した保護活動は好ましくないこと、そして生態系の中に人類も位置づけられることなどを訴えるのです。視聴者の感動を呼ぶような編集で・・・
新しい番組コミュニケーションの試みとして、不特定視聴者からのコメントを常時受け付け、問題点の明確化と対処の仕方を討論してゆくことが出来ればいいのではないでしょうか?
永続性(再生可能)を論じる中で、我が国の仏教思想とか、神道の言わんとすることなどを織り交ぜれば、西洋人が知りたがっている「日本とは何か」の解説にもなって、視聴者は増えるのではないでしょうか?
すべてを有料のテレビとして、「シー・シェパード」のビジネスモデルに対抗しましょう。
彼らの視聴者をも巻き込むように考えながら・・・
「これこそが情報戦、新しい戦争だ!」というモデルにもなるようにしたいですね。
2011年5月24日火曜日
ロシア副首相、北方領土を訪問
大震災であたふたしている日本の民主党をあざけるように、ロシアの副首相らの一行が北方領土を視察しました。5月の15日のことでした。
2月に、メドベージェフ大統領は北方領土に軍事施設を作るようなことを暗にほのめかしています。ロシアは弱い国と見れば必ず襲ってくる性質の国。逆に強いとなると引っ込むようですけど・・・日本の実態が次第にばれているようで、どうにも気味が悪いですね。
ロシアの南下願望、不凍港の確保願望は、北海道の確保を狙っているはず。北方領土の軍事施設を強化するのは、この為なのだと思うのですが・・・
いちおう視察という名目で、イワノフ副首相の他、クドリン副首相兼財務相、バサルギン地域発展相ら数人の閣僚が参加したようです。
これがプーチン首相の指示なのか、あるいはメドベージェフ大統領の指示なのかは不明です。
来年の大統領選挙がキーポイントなのでしょう。プーチン・メドベージェフは、対立しているのか、それとも偽装対立なのか、そこを読まないと今後の日露関係をどう持っていくか、その目論見が立ちませんね。
2年前、メドベージェフ大統領は、次の大統領選挙にプーチン氏が出馬するならば自分は出馬しないと言い切っていました。
しかし昨年からその考えは変わったようです。権力の魅力か、それともプーチン氏の差し金か。
圧倒的優位性を保っているプーチン首相。ただしロシア経済がうまく行っていないことが最大の悩みということでしょうか。
ロシア国民は圧倒的な力を常に求めます。そして求められている力を誇示するのがプーチン首相です。そのパフォーマンスのうまいこと。
メドベージェフ大統領も必死にそれを真似ているように見えます。力の誇示に周辺の腰の引けた国家をいじめるのが手っ取り早い方法。そこに菅政権があるわけです。
イワノフ副首相はプーチン氏と共に出世した政治家。ですからプーチン氏のグループだろうと考えますが、どうもそう単純ではないようです。
噂によると、もう一人の副首相、イーグリーセーチンという実力者が居るようで、彼がプーチン氏を支えるように動いているとか。
プーチン首相はガスプロムという企業を抑えて、その資金で動いていますが、セーチン氏はロスネフチという石油会社の大物です。そして共にエネルギー輸出で莫大な富を築いているとか。
この2人が手を組むと考えた方が自然ではないでしょうか。
副首相でありながら石油会社に名を連ねていることを、メドベージェフ大統領に指摘され、すばやくロスネフチの幹部から降りてしまったセーチン氏。もちろん降りたとしても実力者、お金の流れが止まるわけはありませんね。
中共の東シナ海への軍事派遣。東シナ海が封鎖されると日本のタンカーが通れなくなるか、封鎖まで行かないにせよ因縁を付けられる形になります。すなわちアラビア石油が入ってこない。そこでロシアが北方から日本を助ける形でガスラインを降ろしてくるというシナリオ。このエネルギー支援によって日本を掌中に収めることが出来て、それによってロシア経済の復活を目指すという計略。その前に北方領土をロシア帰属で完全に力による解決を狙っているのではないでしょうか?
アラビア石油を中共に抑えられ、原子力(プルトニュウム)をアメリカに握られ、こんどは天然ガスをロシアから牛耳られると言う構図。
メタンハイドレートの開発は全ての国から邪魔されますね、きっと・・・
2月に、メドベージェフ大統領は北方領土に軍事施設を作るようなことを暗にほのめかしています。ロシアは弱い国と見れば必ず襲ってくる性質の国。逆に強いとなると引っ込むようですけど・・・日本の実態が次第にばれているようで、どうにも気味が悪いですね。
ロシアの南下願望、不凍港の確保願望は、北海道の確保を狙っているはず。北方領土の軍事施設を強化するのは、この為なのだと思うのですが・・・
いちおう視察という名目で、イワノフ副首相の他、クドリン副首相兼財務相、バサルギン地域発展相ら数人の閣僚が参加したようです。
これがプーチン首相の指示なのか、あるいはメドベージェフ大統領の指示なのかは不明です。
来年の大統領選挙がキーポイントなのでしょう。プーチン・メドベージェフは、対立しているのか、それとも偽装対立なのか、そこを読まないと今後の日露関係をどう持っていくか、その目論見が立ちませんね。
2年前、メドベージェフ大統領は、次の大統領選挙にプーチン氏が出馬するならば自分は出馬しないと言い切っていました。
しかし昨年からその考えは変わったようです。権力の魅力か、それともプーチン氏の差し金か。
圧倒的優位性を保っているプーチン首相。ただしロシア経済がうまく行っていないことが最大の悩みということでしょうか。
ロシア国民は圧倒的な力を常に求めます。そして求められている力を誇示するのがプーチン首相です。そのパフォーマンスのうまいこと。
メドベージェフ大統領も必死にそれを真似ているように見えます。力の誇示に周辺の腰の引けた国家をいじめるのが手っ取り早い方法。そこに菅政権があるわけです。
イワノフ副首相はプーチン氏と共に出世した政治家。ですからプーチン氏のグループだろうと考えますが、どうもそう単純ではないようです。
噂によると、もう一人の副首相、イーグリーセーチンという実力者が居るようで、彼がプーチン氏を支えるように動いているとか。
プーチン首相はガスプロムという企業を抑えて、その資金で動いていますが、セーチン氏はロスネフチという石油会社の大物です。そして共にエネルギー輸出で莫大な富を築いているとか。
この2人が手を組むと考えた方が自然ではないでしょうか。
副首相でありながら石油会社に名を連ねていることを、メドベージェフ大統領に指摘され、すばやくロスネフチの幹部から降りてしまったセーチン氏。もちろん降りたとしても実力者、お金の流れが止まるわけはありませんね。
中共の東シナ海への軍事派遣。東シナ海が封鎖されると日本のタンカーが通れなくなるか、封鎖まで行かないにせよ因縁を付けられる形になります。すなわちアラビア石油が入ってこない。そこでロシアが北方から日本を助ける形でガスラインを降ろしてくるというシナリオ。このエネルギー支援によって日本を掌中に収めることが出来て、それによってロシア経済の復活を目指すという計略。その前に北方領土をロシア帰属で完全に力による解決を狙っているのではないでしょうか?
アラビア石油を中共に抑えられ、原子力(プルトニュウム)をアメリカに握られ、こんどは天然ガスをロシアから牛耳られると言う構図。
メタンハイドレートの開発は全ての国から邪魔されますね、きっと・・・
2011年5月22日日曜日
映画・レッド・バロンを観て・・・
あまり前宣伝された映画ではありませんが、大空の英雄「レッド・バロン」の史実に忠実な映画化というふれ込みでしたから観てきました。
映画としてはそれほどの出来ではないようですが、なにしろ2時間の大作でCGを駆使した空中戦は観ている方も疲れました。
この手の映画によくある事ですが、最初は英雄気取りで参加した戦争で、やがて戦争の現実を見て疑問を感じ、やがて戦争の愚かさに気が付いて行く・・・という構成、この映画もそのようなシナリオになっていました。実際はそんなことではなかったでしょうけどね。(ドイツ軍が英語で話すのはやめて欲しいですけど・・)
リヒトホーフェンの有名な台詞でしたか、「兵士達に言ってやれ、クリスマスまでには帰れるだろう」と言うくだりはありませんでした。でも、「大儀を失った戦争はもう戦争ではない、単なる殺し合いだ!」という台詞は出てきています。実際には「こんなのは戦争じゃない、単なる殺し合いじゃないか・・」と言ったのだとか。
ヨーロッパは、貴族社会の平和維持ということで、やたらと政略結婚がなされ、国が違った親戚同士のお付き合いで、はなやかな社交が繰りひりげられていました。しかし、親近憎悪ということも当然あるわけで、そこに国家の利害関係がからんで、第一次世界大戦の複雑怪奇な泥沼の戦いがダラダラと5年も続いたのです。
戦いの意識は中世の戦争のイメージ。ですから大戦の初期には兵士達はほとんどリヒトホーフェン男爵と同じような考えだったはず。しかし、産業革命後の世界で、経済は各国とも貿易依存。
国益を掛けた戦いに、近代技術が加わって兵器の進歩は日を追うごとに進化、即ち大量殺戮兵器に変わって行きます。(この映画は、そこがうまく描けていましたね)
近代兵器の怖さを世界で始めて体験したのはアメリカの「南北戦争」。そしてその直後に日本の「明治維新」が続きます。ともに内戦でありながら、その残酷さと死者数の多さに唖然とした両国。アメリカはアーリントン墓地を造り、日本は靖国神社を作り、多くの英霊を祭りました・・が、さらに兵器開発には拍車がかかります。(産業主義の宿命でしょうね)
その後の日清・日露の戦争で始めて近代兵器の恐ろしさが世界中に伝わりました。ヨーロッパから見学に来るような戦争でしたね。そしてその結果は、さらなる近代兵器の発明と改良。飛行機が登場して戦争のやり方がさらに大きく変わってきました。しかし人の心にある戦争はまだ昔のままの牧歌的戦争でした。そして第一次世界大戦が始まってしまったわけですね。
リヒトホーフェンが何故、軍規に反してまでも機体を赤く塗ったのか・・・そこには正しい戦争をしようとする彼の美学があったのでしょう。「戦争=悪」とする戦後日本の感覚では判らないでしょうが、ここには三島由紀夫氏にも通じる美学を感じるのです。
「目的は撃墜であってパイロットを殺すことではない!」と言い放ち、敵パイロットを執拗に追って殺した弟をなじるマンフレート・フォン・リヒトホーフェンに、それが時代錯誤であっても、どこか共感するのは世界中同じようですね。このシーンはシナリオライターの創作でしょうけど。
この時代錯誤ゆえに、いまも語り継がれるレッド・バロンの伝説的物語。
闘争心を失えば人間は堕落してしまう。しかし闘争心をむき出しで頑張れば最終的には核戦争にまで行き着いてしまう現在。行き場のなくなった闘争心が社会をゆがめ、非人道的事件が絶え間なく発生する近代の現実。だからこそレッド・バロンの美学が今も共感を呼ぶのではないでしょうか?
近代兵器の進化はその後も続きました。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、ソ連崩壊後の東ヨーロッパ内戦、ニューヨーク9.11テロ戦争、アフガン戦争、イラク戦争・・・
そしていよいよ日本海と東シナ海を舞台にした日中戦争が始まりそうで、北方領土をめぐる日露戦争も間近に迫っているのかも知れません。
戦術の手法も、平和技術が逆手にとられた情報戦となって、マスコミ、インターネットが活用され始め、売買による領土侵略、コマーシャルに埋め込まれたプロパガンダ戦術など、手の込んだものになってきました。
実力行使の戦闘には人間ではなくロボット兵器(無人爆撃機)が登場し、テロ戦争の常である民間人の虐殺も平気で行われるようになってしまいました。戦争の大儀は薄れ、各国とも国益しか考えません。第一次世界大戦のあの時のように。
こんな時代、牧歌的戦争を回顧するようなレッド・バロンの美学に触れるのも、意味があるのかも知れませんね。
映画としてはそれほどの出来ではないようですが、なにしろ2時間の大作でCGを駆使した空中戦は観ている方も疲れました。
この手の映画によくある事ですが、最初は英雄気取りで参加した戦争で、やがて戦争の現実を見て疑問を感じ、やがて戦争の愚かさに気が付いて行く・・・という構成、この映画もそのようなシナリオになっていました。実際はそんなことではなかったでしょうけどね。(ドイツ軍が英語で話すのはやめて欲しいですけど・・)
リヒトホーフェンの有名な台詞でしたか、「兵士達に言ってやれ、クリスマスまでには帰れるだろう」と言うくだりはありませんでした。でも、「大儀を失った戦争はもう戦争ではない、単なる殺し合いだ!」という台詞は出てきています。実際には「こんなのは戦争じゃない、単なる殺し合いじゃないか・・」と言ったのだとか。
ヨーロッパは、貴族社会の平和維持ということで、やたらと政略結婚がなされ、国が違った親戚同士のお付き合いで、はなやかな社交が繰りひりげられていました。しかし、親近憎悪ということも当然あるわけで、そこに国家の利害関係がからんで、第一次世界大戦の複雑怪奇な泥沼の戦いがダラダラと5年も続いたのです。
戦いの意識は中世の戦争のイメージ。ですから大戦の初期には兵士達はほとんどリヒトホーフェン男爵と同じような考えだったはず。しかし、産業革命後の世界で、経済は各国とも貿易依存。
国益を掛けた戦いに、近代技術が加わって兵器の進歩は日を追うごとに進化、即ち大量殺戮兵器に変わって行きます。(この映画は、そこがうまく描けていましたね)
近代兵器の怖さを世界で始めて体験したのはアメリカの「南北戦争」。そしてその直後に日本の「明治維新」が続きます。ともに内戦でありながら、その残酷さと死者数の多さに唖然とした両国。アメリカはアーリントン墓地を造り、日本は靖国神社を作り、多くの英霊を祭りました・・が、さらに兵器開発には拍車がかかります。(産業主義の宿命でしょうね)
その後の日清・日露の戦争で始めて近代兵器の恐ろしさが世界中に伝わりました。ヨーロッパから見学に来るような戦争でしたね。そしてその結果は、さらなる近代兵器の発明と改良。飛行機が登場して戦争のやり方がさらに大きく変わってきました。しかし人の心にある戦争はまだ昔のままの牧歌的戦争でした。そして第一次世界大戦が始まってしまったわけですね。
リヒトホーフェンが何故、軍規に反してまでも機体を赤く塗ったのか・・・そこには正しい戦争をしようとする彼の美学があったのでしょう。「戦争=悪」とする戦後日本の感覚では判らないでしょうが、ここには三島由紀夫氏にも通じる美学を感じるのです。
「目的は撃墜であってパイロットを殺すことではない!」と言い放ち、敵パイロットを執拗に追って殺した弟をなじるマンフレート・フォン・リヒトホーフェンに、それが時代錯誤であっても、どこか共感するのは世界中同じようですね。このシーンはシナリオライターの創作でしょうけど。
この時代錯誤ゆえに、いまも語り継がれるレッド・バロンの伝説的物語。
闘争心を失えば人間は堕落してしまう。しかし闘争心をむき出しで頑張れば最終的には核戦争にまで行き着いてしまう現在。行き場のなくなった闘争心が社会をゆがめ、非人道的事件が絶え間なく発生する近代の現実。だからこそレッド・バロンの美学が今も共感を呼ぶのではないでしょうか?
近代兵器の進化はその後も続きました。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、ソ連崩壊後の東ヨーロッパ内戦、ニューヨーク9.11テロ戦争、アフガン戦争、イラク戦争・・・
そしていよいよ日本海と東シナ海を舞台にした日中戦争が始まりそうで、北方領土をめぐる日露戦争も間近に迫っているのかも知れません。
戦術の手法も、平和技術が逆手にとられた情報戦となって、マスコミ、インターネットが活用され始め、売買による領土侵略、コマーシャルに埋め込まれたプロパガンダ戦術など、手の込んだものになってきました。
実力行使の戦闘には人間ではなくロボット兵器(無人爆撃機)が登場し、テロ戦争の常である民間人の虐殺も平気で行われるようになってしまいました。戦争の大儀は薄れ、各国とも国益しか考えません。第一次世界大戦のあの時のように。
こんな時代、牧歌的戦争を回顧するようなレッド・バロンの美学に触れるのも、意味があるのかも知れませんね。
2011年5月20日金曜日
破綻した地方主権、原発停止は中央の命令
民主党・鳩山元首相が主張していた地方主権。へんな言葉ではありますが、地方分権を強化するものであることは確かな主張。
この民主党の主張を自ら否定したような浜岡原発の停止命令。菅首相は要望であって命令ではないと述べておりますが、この要請によって浜岡原発は止められたことに間違いはないでしょう。
浜岡原発は、中部電力唯一に原発。そしてトラブル続きの原発であったことは確かです。
中部電力唯一の原発であることは、この地域に原発反対運動が強かったことが原因のようで、考えてみればこの原発のトラブルも、原発反対運動ゆえに多発していたのかも知れませんね。
菅首相は、浜岡原発のことを「活断層の真上に作られた原発であり、トラブルも多く、しかも海岸には防波堤が作られていない」ことを理由にして「東海地震の発生確率も80%となっており、防波堤が建設官僚するまで停止することが望ましい」などと話しておりました。
しかし、「活断層の上にある」というのは、そういう説もあるということのようですし、防波堤を作らなかったのも、一応立地条件や過去の津波の事例を調査してのもので、理由はあるそうですね。
東海地震の確立が80%という根拠も、今回の東日本大震災で地震予知がまったく役に立たなかったことから考えて、本当に信憑性があるのかどうか疑わしいと言わざるを得ないのではないでしょうか?
さらに、万が一この原発が地震でやられた場合、一番放射能の危険が及ぶのが東京であるということ。地域を守るような口ぶりの裏に、首都・東京のリスク回避が強くあったのではないかという懸念も、菅首相に地方自治に対する差別意識があるような、そんな感じもするのですけど。
そして一番気になることは、いったい電力の確保を今後どのようにするつもりなのかということです。
一方的に原発を止めてはいますが、その代替発電のことが、あまり語られないことが気になります。福島第一原発を止めれば約470万キロワット/時の定格電気出力が失われます。
東京電力範囲での使用量が3500万キロワット/時で、平均した値です。通常は平均値付近で事足りる電気。こんな時の節電は意味がありません。
工場とか鉄道、道路設備などで使う電気は、この中に含まれていますから現状の発電設備で足りるはず。福島第一原発を止めても代替発電で大丈夫でしょう。
ところが、夏場のピーク時に6000万キロワット/時を超えたこともあります。ここがポイント。
暑くなるとビル空調設備は冷やそうとして空調コンプレッサーを盛んに回します。東京中のビルが一斉に動きますから、予備発電設備がフル稼働し始めます。日が沈みお勤めも終わったあとは、再び平均値あたりまで下がります。
東京電力が訴える節電とは、「この猛烈に暑い真夏の日中だけ、ビル空調を止めてください」ということでしょう。
商業施設のビル、企業のオフィスビルなどの空調を止めればいいだけ。パチンコ屋さんも自動販売機も、猛烈に暑い真夏の日中だけ止めればいいのです。
そしてこの猛烈に暑い真夏の日中こそ、一番稼ぎになる時間帯であることが問題なのではないでしょうか?
だからといって、この一番儲かる時間だけ止めないで、後の時間を節電する・・ということはまったく意味がないということになります。
ですから、このまま真夏になって気温が何度以上になったら空調を止めるのか、何度以下になったら空調を入れてもいいのか、猛烈に暑い日はどうやって凌いだらいいのか、高齢者が熱中症にならないようにするためにどういう方策を取るのか・・こういった指導を始めることが政治責任というものではないでしょうか?
すべては電気は貯められないというところから派生する問題です。その解決のために電気自動車があるはず。ところが、その一番の機能が使えるようになっていません、今の電気自動車は。困った錯誤ですね・・・
この民主党の主張を自ら否定したような浜岡原発の停止命令。菅首相は要望であって命令ではないと述べておりますが、この要請によって浜岡原発は止められたことに間違いはないでしょう。
浜岡原発は、中部電力唯一に原発。そしてトラブル続きの原発であったことは確かです。
中部電力唯一の原発であることは、この地域に原発反対運動が強かったことが原因のようで、考えてみればこの原発のトラブルも、原発反対運動ゆえに多発していたのかも知れませんね。
菅首相は、浜岡原発のことを「活断層の真上に作られた原発であり、トラブルも多く、しかも海岸には防波堤が作られていない」ことを理由にして「東海地震の発生確率も80%となっており、防波堤が建設官僚するまで停止することが望ましい」などと話しておりました。
しかし、「活断層の上にある」というのは、そういう説もあるということのようですし、防波堤を作らなかったのも、一応立地条件や過去の津波の事例を調査してのもので、理由はあるそうですね。
東海地震の確立が80%という根拠も、今回の東日本大震災で地震予知がまったく役に立たなかったことから考えて、本当に信憑性があるのかどうか疑わしいと言わざるを得ないのではないでしょうか?
さらに、万が一この原発が地震でやられた場合、一番放射能の危険が及ぶのが東京であるということ。地域を守るような口ぶりの裏に、首都・東京のリスク回避が強くあったのではないかという懸念も、菅首相に地方自治に対する差別意識があるような、そんな感じもするのですけど。
そして一番気になることは、いったい電力の確保を今後どのようにするつもりなのかということです。
一方的に原発を止めてはいますが、その代替発電のことが、あまり語られないことが気になります。福島第一原発を止めれば約470万キロワット/時の定格電気出力が失われます。
東京電力範囲での使用量が3500万キロワット/時で、平均した値です。通常は平均値付近で事足りる電気。こんな時の節電は意味がありません。
工場とか鉄道、道路設備などで使う電気は、この中に含まれていますから現状の発電設備で足りるはず。福島第一原発を止めても代替発電で大丈夫でしょう。
ところが、夏場のピーク時に6000万キロワット/時を超えたこともあります。ここがポイント。
暑くなるとビル空調設備は冷やそうとして空調コンプレッサーを盛んに回します。東京中のビルが一斉に動きますから、予備発電設備がフル稼働し始めます。日が沈みお勤めも終わったあとは、再び平均値あたりまで下がります。
東京電力が訴える節電とは、「この猛烈に暑い真夏の日中だけ、ビル空調を止めてください」ということでしょう。
商業施設のビル、企業のオフィスビルなどの空調を止めればいいだけ。パチンコ屋さんも自動販売機も、猛烈に暑い真夏の日中だけ止めればいいのです。
そしてこの猛烈に暑い真夏の日中こそ、一番稼ぎになる時間帯であることが問題なのではないでしょうか?
だからといって、この一番儲かる時間だけ止めないで、後の時間を節電する・・ということはまったく意味がないということになります。
ですから、このまま真夏になって気温が何度以上になったら空調を止めるのか、何度以下になったら空調を入れてもいいのか、猛烈に暑い日はどうやって凌いだらいいのか、高齢者が熱中症にならないようにするためにどういう方策を取るのか・・こういった指導を始めることが政治責任というものではないでしょうか?
すべては電気は貯められないというところから派生する問題です。その解決のために電気自動車があるはず。ところが、その一番の機能が使えるようになっていません、今の電気自動車は。困った錯誤ですね・・・
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