2011年2月21日月曜日

石原真太郎都知事の日本核武装論、でも・・

世論調査で、国民の8割以上が政府や国会が核問題の議論を行うことに賛成しているという結果が出ました。
私の回りにも「日本は核兵器を持たなければ駄目だ!」という声が広がっています。
即ち日本の平和主義者の方々は2割以下だったことが証明されました。この2割に満たない国民がマスコミを抑え、あたかもそれが常識であるがごとく非武装中立などと唱えていたことが明らかになったわけです。

このことを受けて石原都知事は「核を保有することで日本に対してはっきりした敵意を持った国が間近にある。こういうシチュエーションの国家は世界にない。国民も、それ(危険性)をうすうす感じてきた」と述べました。そして核の不拡散を訴える国連については「これっぽっちも信用できない」と述べ、「安保理の常任理事国は全部核を持っている国しかない。
(日本など)後は既得権で絶対入れない」と加えて、今までの日本国民が国連という存在に騙されていたことも話されました。

この石原都知事、ついに4選出馬の意向を固めたようです。
その石原氏が話始めた日本核武装論。アメリカにとって、絶対に封印したい話であり、中共にとっては悪夢としか言いようの無い話題です。
「核実験をどうするのか」「アメリカとの安保条約は?」などの問題も多く含む話題ですが、8割以上の国民が賛成する以上、もはや避けては通れない問題とも言えるでしょう。

しかし、私は核武装論には疑念を持っています。核武装に反対なのではなく、軍隊の運営もままならない日本で、核兵器保有の議論は早すぎるのではないか、という疑念です。
ともかく先ず、正常な軍隊とその運用を行えるようにならなければならないのではないでしょうか?

日本の平和主義は、日教組とマスコミが60年に渡って国民を洗脳してきたもの。現実を見ないで妄想の中に国民を閉じ込めておくための仕掛けでした。
そして、いまだ多くの国民はその呪縛から解けていません。8割の核問題の議論に賛成している方々も、日本再軍備には躊躇するのではないでしょうか? それは、自分たちが防衛責任を持つことになりますからね。

核問題の議論に賛成する方々は、おそらく昨年の「尖閣列島事件」とか「北朝鮮の核問題」などを見て、少し世界の現実が見え、それで核武装の議論に賛成しているだけではないでしょうか?
核兵器は作ることが出来ても、その運用、管理、戦術などが出来なければどうにもなりません。持つ以上は使う覚悟も必要なのです。その覚悟なくして核兵器は持てません。そして、そんな覚悟はほとんどの国民は現在持ち合わせていないと思います。

ゆえに、核武装を議論する前に、日本の正常な軍備保持をいかに確保するかを議論すべきではないでしょうか?
精神論ではなく、具体的な法律の改正とか新しい国民の動員方法(専門家の国防動員)などを議論すべきです。無人偵察機の運用とか、測地衛星の軍事転用なども議論するべきでしょうし、インターネットを駆使して情報動員なども考える必要があるでしょう。
外国から、容赦なく日本に入ってくるスパイたち。スパイ防止法もさることながら、彼らの動向を把握するのに、スイカ・カードとかETCカードなどを利用することも有効かも知れません。そのための法律準備など・・・

このような新時代にふさわしい防衛の議論こそが必要なのではないでしょうか?
新しい防衛技術の開発こそ、日本の安全保障にとって必要なものだと思うのですけど。

0 件のコメント:

コメントを投稿