今日は紀元節、戦後はGHQの影響があって建国紀念日になっています。
朝から降りしきる雪。お昼前に靖国神社へお参りしてきました。少し小降りになったと思った雪が、また激しく降り出し、道路を白く染めていきます。
靖国神社には、さすがに露店はでておりませんでしたが、右翼と見られる車が九段の大鳥居の前の入り口付近にいっぱい止まっていて、寒さゆえかエンジンを掛けっぱなし。
「龍樹」とか「菊水国防連合」、「日本護政会」などと書かれた車の周りには、警察の作業服のような出で立ちの男性が寒そうに弁当を配っていました。
参拝を済ませて帰る途中、能舞台で太鼓の演奏が行われていて、「松原でんでんむしの会」という人たちが、勇壮な太鼓を叩いていました。
しばらくそれを見物して、激しくなってきた雪の中を、九段の地下鉄の駅へと向かいました。
作業服を着た男達が、集団で参拝から戻ってきたようで、右翼の車のまわりは人でいっぱい。
しかしその会話は、なんとなく現代の若者のような口のききようでした。これで国を守るつもりなのかと、ちょっとがっかりさせられます。
思えば敗戦のあと戦地から戻った方々は、戦争で散華された友人達を思いながら、生き残って焼け跡の中でたたずみ、敗戦の理由をアメリカの物量に負けたのだと自分達に言い聞かせ、そして東京裁判を受入れ、アメリカなどからの技術導入と生産性の向上に歯を食いしばって努めてきたのでしょう。
その心の深層には、戦争で亡くなっていった肉親や友人達への後ろめたさのようなものがあったのではないでしょうか。「悪かったのは日本軍」という連合国側の押し付けをそのまま受け入れ、そんな話題から逃げ出すように、仕事だけに打ち込んでいったのかも知れません。そして短期間で日本の経済復興を成し遂げたのですが・・・
その息子達はその後を継いで日本を経済大国にのし上げました。
しかし、息子達があの大戦を思うとき、そこには日本軍が悪かったとする東京裁判史観しかありませんでした。戦争経験者はじっと敗戦の苦渋に耐えて、沈黙を守っていたからでしょう。これらの真実を封殺したマスコミの責任も大ですが・・・
戦地に赴いた人たちも、日本軍全体のことは判りません。東京裁判がおかしな裁判だということは判っていても真実がどうなっていたのかは霧の中だったはずです。ですから説明が出来ません。
そんな親の後姿を見て育った、それが団塊サヨクなのかも知れませんね。
親への反発はいつの時代も同じものですが、それが共産主義の宣伝と、アメリカの宣伝の両方に乗せられて大人になっていった団塊世代です。
その中の「団塊サヨク」が、今この日本の政権を握っているのですが・・・
戦争で散華された戦士達の無念は、最近になって公開され始めたアメリカの公文書などによって次第に晴らされていくかも知れません。
共産主義者の謀略も出てきています。東京裁判の茶番も今後明確になると思います。そこには冷戦構造を作っていった筋書きがあるはずですから。
田母神氏がときおり発言する「ベノナ文書」もその暗号解読の公文書ですね。
団塊の世代は多くがサヨク。妄想平和と経済絶対主義に固まっている世代。
しかしインターネット時代の今の若者はこれらの公文書情報もよく読んでいます。ですから東京裁判史観についてもよくご存知。これらの情報を知らないか、あるいは拒否する団塊とその周辺の大人たちの言うことは、半信半疑で聞いていることでしょう。
建国紀念日の靖国神社。ここに集う右翼の若者達は、戦争は知らなくてもインターネットの記事は読んでいる世代。
アベックでお参りに来ている若者も同じでしょう。彼らを見て、英霊達は日本の未来を安心するでしょうか?それとも心配するでしょうか?
そんなことを考えながら、帰途についた今日でした。
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