2018年10月31日水曜日

移民政策とODA

安倍政権は移民という言葉を使わずに移民政策を推し進めているように見えます。
入館難民法を変えて技能という言葉を使い「特定技能1号」と「特定技能2号」を設定し、1号は在留期限が5年で家族帯同を認めない(つまり今までと同じ)と言うことですが、2号は事実上の永住を認め配偶者と子供の帯同を可能とする、事実上の移民容認という政策です。

この法改正の理由が「深刻な人手不足」と言うことです。しかし青山繁晴参議院議員や経済評論家の三橋貴明氏によりますと、2020東京五輪の後は人余りになる見込みであり、また、土建業の合理化(近代化・ITなどの応用技術)を行えば人手不足は克服できると述べております。

この疑似移民政策は安倍政権に掛かる外圧が原因かと思います。欧州がその政策の失敗で中東の難民を大量に受け入れて治安が維持できなくなるまでに至り、移民を受け入れない日本に圧力を掛けてきているようにも思います。
アメリカはもともと移民国家です。ですから移民受け入れの法律もしっかりしていてクールでドライな対応が可能ですが、我が国にはそんな法律も対応慣習もありません。

それは我が国は移民国家ではないからだと思います。
2678年前に神武天皇がこの国を建国した際、周辺に居る国(国と言っても集落のようなもの)を襲撃するのではなく、農業という技術を継承して行くことだったからです。
「八紘一宇」の考え方は、「豊になる技術を伝え、ともに栄える」ことであると解釈できるからです。

「天皇」が必要だった理由は、この米作の技術には「こよみ」を如何に取り扱うか、そして労働の集約化をいかに行うか、その必要性から来ていると思うのです。
まだ人々が狩猟採集生活に近く、栗林、粟や稗、野菜などの栽培で生計を立てていた時代です。横穴式住居や、草・灌木を使った住居生活の時代に、稲の水耕栽培を行うのですから労働集約には何かの権威(宗教的感動)を使う必要があり、そこで「天皇」という「こよみを司る指導者」が必要だったのでしょう。

古代エジプトのファラオなども、洪水で腐葉土が運ばれてきたあとの麦の耕作を行う「労働集約」のための権威としての必要性から生まれたものだったのではないでしょうか。

そこに北方から羊飼いの集団が移民し始めます。壮大な草原で羊を飼って生計を営んできた彼らは、労働集約の意味が解らなかったのでしょう。
「労働は神の罰である」とする文化と、労働集約のための権威を必要とする文化の対立を、羊飼いの立場から見て書かれたのが旧約聖書(バイブル)だと思います。

現代の我々の生活は、欧州文化の延長にあります。哲学者のデカルトが「方法序説」によって分析科学を創出し、産業革命によって生産性が格段に上がり、科学が技術を触発して、その連鎖が近代文明を作り上げてきました。
そして今、その技術格差が経済格差を生んで、その結果が移民問題となっているのだろうと思います。

我が国は「労働集約のための権威を必要とする」文化です。明治になって、近代技術を西洋から取り込み、和魂洋才という概念を持って近代化に成功したわけですが、その結果戦争に負けたこともあって「労働は神の罰である」という文化が国民に浸透してしまったようです。
「個人主義」という生き残りをかけた競争社会が浸透してきたからです。これを浸透させることによって、資本主義的収奪が可能になるわけで、その結果として我が国に「移民受け入れ」の圧力が高まって来たように思います。
「我が国民」は、個人主義というフィールドになれば華人に負けてしまうでしょう。「集団主義」でなければ勝ち目はないからです。

華人には「労働は神の罰である」という観念はありません。「弱い者が強い者に貢ぐ」という観念があるだけです。
ですから一見「個人主義」と同じように振舞いますが、個人主義のような個人の技量はあまり関係ないようです。

八紘一宇の近代版がODAではないかと思います。「政府開発援助」ということですが、これが欧米の「移民受け入れ」と同じ意味を持っているように思います。
つまり相手国から我が国に移ってくるのではなく、「相手国に資金と技術を教えて繁栄してもらう」という考え方です。

この考え方が判らない欧米から、「日本は移民を受け入れない。問題だ」と圧力を受けているようにも見えるのですが・・・

相手国から移民を受け入れてうまく行ったとしても、相手国は貧しいままではないでしょうか。
これでは相手国の為にはならないように思います。
個人主義であればこれでいいのかも知れませんが、我が国の集団主義の伝統から見れば「無意味」なことなのです。

ですから「移民政策」には反対なのですが・・・

2018年10月29日月曜日

日中首脳会談、三原則とは・・

安倍首相は中共の公式訪問日程を終え帰国されました。26日の習主席との会談では日中関係の「新3原則」なるものを確認し合っての帰国と言うことです。

その3原則とは、
1)競争から協調へ
2)脅威ではなくパートナー
3)自由で公正な貿易体制の発展
と言うことです。

そして習近平主席に。来年の訪日を要請して帰国とのことですが、習主席は「(それまでに)真剣に検討したい」と応じたそうです。

この3原則は、中共に理解されるでしょうか。
先ず「協調」という概念は華人にはないのではないでしょうか。相手を騙し情報を盗み、先に利益を掴むことしか念頭にないように思います。
「パートナー」という概念も同様で、これを中国語でなんと訳しているのかは知りませんが、主従関係なら判ってもパートナーという同格連携は判らないように思います。
そして最後の「自由で公正」ですが、公正という意味がわかるのでしょうか? 自由は共産主義の敵対概念ですし、公正というのは法のもとの公正ですから法の客観性が無ければ無意味です。
法が権力者によって作られる国に「自由と公正」など不可能だと思います。

今回の安倍首相訪中が成功か失敗か議論されていますが、最後のこの「新3原則」を習主席が「真剣に検討したい」と言ったとすれば、今回の訪中は日中間は「今までと変わらず」と言う事になり、今後も仮想敵であることに変わりはないと言う事、これが結論ではないでしょうか。
通貨スワップや一帯一路への参加などは、日本企業の「日中友好幻想」から覚めない方々に対するサービスに過ぎないとも思えます。

日中の共同事業で日本企業が得をしたことなど一度もなかったはずです。相手の口車に乗せられて日本国内と同じように振舞った結果、損失しか出なかったのではないでしょうか。
安倍首相は日本国内のパンダハガーを軽蔑しているように見えます(政治家も含む)。ですからこのような交渉をしたとも思えます。

習政権は今頃「この3原則をいかに丸め込むか」を必死に行っているのではないでしょうか。そしてそれを持って来年我が国を訪問するのでしょう。

しかし安倍政権はその間に「自由、公正、開かれた貿易」などを環太平洋諸国(アメリカも含む)と締結していくことでしょう。
そしてそのFTAやEPA、そしてTPPなどの協定文書が出来てくれば、それをひな形として習政権と対峙すれば良いだけです。

10月27日に帰国した安倍首相は、直ちにインドのモディ首相との会談を10月29日に設定しました。このモディ首相、28日は安倍晋三首相の招きで首相自身の山梨県鳴沢村の別荘を訪れ、29日に首脳会談に臨むそうです。
訪中の後どうするか、最初からの計画でしょう。これが安倍外交の神髄ですね。

モディ首相とは、「自由で開かれたインド太平洋戦略」のもと、両国は安全保障面での連携や、経済面での協力関係を強化させる方針です。
特に中共の軍事拡大への警戒から、安全保障分野での協力推進が重要な内容となることでしょう。

さらに医療分野での連携拡充やデジタル技術の共同研究など、そして日本の新幹線方式が採用されるインド高速鉄道事業などに対して、3千億円強の円借款供与を表明する予定だそうです。
これは暗に一帯一路やAIIBへの牽制になっているのではないでしょうか。

このモディ首相の訪日で、安倍首相が山梨県鳴沢村の別荘へ招待したことは、来年の習主席の訪日でも「別荘へ招待」がなされなければモディ首相より「格下」に見られてしまうことになります。
中共政府は「別荘へ招待」にこだわるかも知れません。そうなれば日本側にとっては有利な交渉条件が一つ増えたことになります。なにしろメンツ第一の華人なのですからね。

トランプ大統領は正面切って「中共の不公平に対する関税障壁」を作り習政権を経済的に追い詰めました。そして次は安倍首相によって心理的な追い込みを行っているのかも知れません。
この揺さぶりの中で、拉致問題に対する北朝鮮への働きかけがなされるかも知れませんし、ウイグル、チベット問題への対応に変化が出て来るかも知れません。
東シナ海や南シナ海についても、経済が逼迫すれば思うように行かなくなるはずです。

安倍首相の「地球を俯瞰する外交」は、どうやら佳境に入って来たようですね。
これからどうなるか、楽しみでもあります。

2018年10月27日土曜日

仮想敵国との首脳会談

10月26日、安倍首相は北京に赴き、日中首脳会談に臨みました。

人民大会堂で李克強首相と会談し、どうやら対中ODAの終了は宣言したようです。まだやってたのか・・とも思うのですけどね。
そして日中通貨スワップ協定を結び、しかもその金額が3兆円という、5年前まで行っていた通貨スワップの10倍にもなるスワップ協定をしたようです。

通貨スワップとは、自国通貨の預け入れと引き換えに、協定を結んだ相手国の通貨をあらかじめ定めたレートで融通してもらえる協定です。つまり人民元を預かって円を融通すると言う取り決めで、利払いや元本償還が円建てになると言うもの。

どうもあまり意味が解りませんが、ようするにドル不足になってしまい外国から輸入が出来亡くなった場合、人民元を円に交換し、そして円をドルの交換して支払いに充てるという意味のようです。

通貨スワップ協定ですから、その協定の詳細が判らないと何とも言えませんが、例えば中共の軍艦の部品が消耗し、ドイツから部品の購入をこの通過スワップによって行い、そしてその軍艦で尖閣諸島を侵略することもありうるのではないでしょうか。
それを我が国は許していいのでしょうか?

5年まえは尖閣海域での中共のスパイ漁船と海保の船がぶつかり、その後にこの通貨スワップが取りやめになったそうですから、再び尖閣に衝突が起きればただちの停止出来るような協定になっているのでしょうね。

このようなポイズンが考えられていれば、中共に共産主義国的卑劣さが表出した時はそれをコントロールするための材料に使えるかも知れませんが、そうでなければ我が国にとって何の利益も生みません。

産経の田村秀男記者は、このスワップは「日米の信頼を損ないかねない」と述べております。トランプ政権がここまで習政権を追い詰めてきた米中経済戦争。
中共が誇る世界最大、3.1兆ドル(約348兆円)の外貨準備は対外負債を差し引くと実質マイナスで、張り子の虎同然なのだそうです。

それを知っているトランプ大統領が仕掛けた経済戦争で、追い詰められた習政権が安倍政権に通貨スワップの再開を頼むと泣きついて来たわけです。
ですから、今回の安倍首相の訪中の間は中共のマスコミは「絶対に東シナ海・尖閣諸島のことは報じるな」との命令を受けているとか。
ともかく日本から通貨スワップの規模10倍という確約を受けるまでは・・と言うことでしょう。

もう一つの中共側の謀略が「過度の日中友好」を演出することです。つまり日米離反を狙う中共にとって、日中友好の演出はアメリカ牽制の代行の手段となるわけです。
「一帯一路」への協力姿勢について安倍首相は、「実際に中国に何かサービスをしているわけではない。こっちの利益になることは一緒にやってもいいというだけだ」などと述べたそうです。(日本の利益などになるわけはありません。)
日米離反の作戦に嵌った感のある訪中になってしまったようですね。世界に向かって中共への懸念は日本の信頼を使って払拭されようとしています。

アメリカとの経済戦争によって、人民元という紙屑になりそうなお金に、円スワップという安心を与えてしまったこと。そして友好という演出に嵌ってしまった安倍首相なのです。

我が国の外務省幹部は、「中共と対峙するアメリカに日本が『戦略的に中共と近づいている』とみられてはいけない。あくまで関係改善だが、日本はアメリカの従属ではない」などと述べていますが、軍事的独立が無ければ属国として行動しなければならないのは当然のことではないでしょうか。
外務省はまだ妄想平和から抜け出てはいないようです。

さらに「韓国を助けるための対韓スワップとは性質が違う。中国で活動する日本の企業保護のためだ」とも述べたようですが、だったら「中共に居る日本企業が恫喝されるからだ」とはっきり言えば良いのです。意味は同じなのですから。

中共は用意周到でした。先ず二階幹事長を使って首相3選での安倍支持と中共訪問を取引させたように見えます。
二階幹事長は、これまでのODAの終了と通貨スワップの再開を取引きしたようですね。
そして訪中での歓迎盛り上げで、安倍首相の対中強硬発言を封印します。目的は通貨スワップの再開ですから、それ以外の交渉はさせないという作戦だったのではないでしょうか。
尖閣諸島問題も知的財産権の問題も、技術奪取や資本の持ち出し禁止という問題も封印されてしまいました。

おそらく安倍首相は会談の中でこれらの問題について提起したと思います。しかし場所は敵地です。これはマスコミには出てきません。ですから言わなかったのと同じになってしまうのです。
安倍首相にとって、国内の親中派によって張り巡らされる謀略には対抗できなかったようですね。

財界の首相同行団の対中詣ではちょっと信じられません。トランプ政権の対日貿易交渉を厳しくさせるだけです。トヨタなどは気を付けないとアメリカ市場から追い出されるかも知れませんよ。
そして中共が仮想敵国であることに変わりはありません。この歓迎ムードの中でも尖閣諸島周辺の接続水域に海警局の公船を航行させております。

「通貨スワップ再開は日本企業が恐喝されているからです」とトランプ大統領に言えば、「じゃあその日本企業を潰してやろうか」とトランプ大統領は答えるかも知れませんね・・・

2018年10月26日金曜日

台湾・脱線事故、責任は?

台湾で特急列車の脱線事故が発生しました。
台湾北東部・宜蘭県(ぎらん)蘇澳(すおう)という所で発生した事故で、18名が死亡すると言う大惨事です。

この列車「プユマ号」を製造したのは日本、愛知県豊川市の「日本車輌製造」が2012年から2015年にかけて台湾に納入した車両だそうです。
まだはっきりとした自己原因は解っておりませんので、日本車輛から調査に出向くそうですが、マスコミは「運転士『ATP切った』と証言」などと運転手のミスの様に報じられております。

日本では「ATS」という装置で、「Automatic Train Stop(自動列車停止装置)」と言うものですが、ATPは「Automatic Train Protection(自動列車防護装置)」と言うもので、若干異なる装置のようです。

台湾では、「安全運行のために必要な装置である」と言う認識はあるものの、警報音がうるさく、こうしたシステムを“過剰”と捉えて嫌がる運転士もいるそうです。
事故を起こした運転手もこうした運転手の一人だったのでしょうか?

そして一番気になるのが、事故直前に運転士が動力の異常を通報していたことです。事故に合った乗客の証言にも、「何度か急停車していた」とありますから、列車事態にすでに異常が発生していたとも考えられます。

日本の場合、こうした異常が発生すると列車の運行を止めて対応すると思います。ダイヤは混乱しますが事故は防げますし、異常が発生していると思われる列車の乗客を別の車両に乗せ換えるなど、場合によってはバスなどの代替運行を行ったりしております。

今回の台湾事故は、列車がATPによって止まってしまうのでATPを切って運行を続けたようです。
台湾の夏は暑く湿度も高いわけで、電子部品にとっては過酷な環境です。その夏が終わったあたりが故障発生の可能性は高いわけです。
しかし、この季節は観光シーズンでもあります。故障と判断して列車を止めれば、大きな損失が出ることは間違いありません。

この運転手は損失の出ることの方を恐れたようです。そこでATPを切って運行を続けたと考えられないでしょうか。
運転に自信のあった運転手かも知れませんが、すでに列車の性能が高くなり、スピードなどもすぐに出てしまう列車で、これまでATPによって抑えられていた速度調節が、ATPが切られれば出来なくなることに、一瞬の遅れで気が付いた時は、100キロを超えるスピードとなり、もはや手遅れだったと言う事故の様に思います。

鉄道のカーブは実に微妙な設計です。とはいっても19世紀のアイディアですけど。レールと車輪をテーパー(円錐形)で設置し、カーブの遠心力とのバランスで左右の車輪の直径を変えて曲がります。

鉄道が進化してスピードが増すと、もはやこのカーブにおける速度調節は腕のいい運転手でも不可能になってくるのです。そこで電子装置を使って、カーブの時の速度調節を素早く、そしてこまめに行います。こうすることで列車のスピードが上げられ、目的地への到着を早く出来るようになった訳です。

東京の電車も同じです。昔に比べてスピードはかなり速くなり、駅への侵入速度もあがりました。乗客に違和感を感じさせないる停止曲線を、電子装置がきちんと制御するからです。もちろん発進の時も同じです。そして日本の電車はラッシュ時に列車の本数が増やせて、ラッシュ緩和の役に立ったのですが、同時に駅での列車接触死亡事故が増えました。

駅への侵入速度が速くなったからだと思います。歩きスマホなどで乗客の安全認識は下がっているのに・・・
そこで鉄道会社は、仕方なく駅に「ホームドア」を付ける必要が出てしまったのです。(あれは自殺防止扉ではありません)

今回の台湾での脱線事故は、こうした技術進歩の反面、人間の尊厳の負の側面が出てしまったような気もします。腕に自信のある運転手が、ATPを切ってしまうという事です。

最近購入される乗用車にも、このような電子安全装置が付けられております。バックする時など自分の車が鳥瞰出来る装置なども付けられ、バックミラーでも見えない死角にもセンサーが付けられて警告音が出されます。
しかし、腕に自信のあるドライバーはこの安全装置を「ピーピーうるさい」として切っているようです。切るかどうかは自由ですが、今後出て来るであろう走行中の車同士の通信dえ事故を防ぐ装置などが出てくれば、相手が切っていて事故が起きた場合は法的責任がいままでとは異なるように思います。

電子安全装置が警告を発した場合は、安全装置の故障も考えられます。しかしそれでも、列車を止めて調査をするように法規制した方がいいのではないでしょうか。
台湾政府に希望する次第です。安全合理性と経済合理性は背反するものですからね。

2018年10月25日木曜日

関西生コン幹部の逮捕

「関西生コン」の名前は森友学園問題が騒がしかった時期に出てきた名前です。そしてこの名前は辻本清美衆議院議員(立憲民主党)の資金管理団体との関係が噂されていたものです。
関西生コンと言っても企業ではなく「労働組合」で、正式には「全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部」と呼ぶのだそうです。

今年の8月から9月、そして10月にかけてこの関西生コンの幹部達が逮捕され続けていますが、どうやら森友学園問題がサヨクの「安倍卸し」と「憲法改正阻止」に使われ始めた頃から、警察の内定が始まっていたようです。

建築現場で生コンを発注すると、生コンクリートの配送所からコンクリートミキサー車に積んで現場に届けます。この時、現場までの時間を守るためにさまざまな工夫がなされるようで、ある時間内に現場に打ち込まないとミキサー車の中でコンクリートが固まってしまい、コンクリートだけでなくミキサー車まで壊れてしまうという事態になります。

「関西生コン」は全国の労働組合支部と連携しながら、その組合に参加していないコンクリート配送業者を潰していったようです。そしてその手法が「運行妨害」です。
ミキサー車の前に立ちふさがり、コンクリートが固まるまで運行を阻止するという悪質なやり方で潰していったと聞いております。(沖縄の辺野古埋立反対と同じですね)
高価なミキサー車が壊れると小さな企業はひとたまりもなく潰れてしまいます。ですから要求を呑むわけで、こうして関西生コンは勢力を拡大していったのではないでしょうか。

今回の逮捕は、関西にある清涼飲料水メーカーの倉庫建設工事(東近江市内)で、生コンクリート調達を担う大阪市内の商社の男性支店長が、大阪市港区の大手セメント会社(関西生コンには加盟していない)に発注をしようとしたところ、関西生コンの武建一容疑者(76歳)が湖東生コン協同組合(滋賀県東近江市)の加盟業者と契約するよう商社の支店長に警告したところ、支店長がこれを断ったために脅したようで、この恐喝容疑で逮捕に踏み切ったということです。

支店長に対して武容疑者が「(それ以外の生コン業者と契約すると)大変なことになりますよ」と言ったことが脅しになったようです。
そして今度は、その大手セメント会社に対して「(関西生コンと関係が深い)組合に加入してくれ」などと要求したところ、断られました。

そこで関西生コンの組合員が、この大手セメント会社の配送サービスセンターに集結。車の前に立ちふさがり、出荷業務ができない状態(運行妨害)に追い込んだのだそうです。(いつもの手口です)
これが昨年12月頃に起きた事件で、今年の8月頃に「武建一容疑者」、今年10月に「七牟禮(ななむれ)時夫容疑者(副執行委員長)」等16名を逮捕しております。おそらく検察は公判が維持できると判断したのでしょう。

「関西生コン」が拡大したのは、裏側に同和(同胞融和)問題があり、部落解放同盟とつながっているとか聞いています。共産主義が我が国に入り込み、大正デモクラシーなどとともに部落解放運動などで拡大し始め、朝鮮から日本に渡ってきた朝鮮部落と結びつき、戦後のどさくさに我が国の裏側で活動していた連中です。

同和問題をたどって行けば、源平最後の壇之浦の合戦と、仏教の不浄の考えの浸透まで遡ると言う問題です。
壇之浦で負けた平家の落ち武者が、山間部に逃れて合掌造りなどで部落を作り、そこで一般農家で死んだ牛や馬などの遺体処理を引き受け、生計を立てていたこと。そして仏教の不浄感が部落との間の差別(穢多)を作り出し、それが明治の開国とともに「差別を無くす」という意味で「同胞融和」運動が始まり、同胞融和が「同和」になったそうです。

日韓併合から半島の人々が日本に移り住み、日本文化との間で摩擦が生じて朝鮮人部落が出来て、そこから部落差別という言葉の問題で同じ部落解放運動が朝鮮人差別問題にすり替えられ現在に至るようです。
フランス革命やロシアでの共産主義運動が起きた時、貴族と労働者の間にある「差別」が闘争のキーワードになりました。ゆえに「差別」が共産化のキーワードとして定着したのでしょう。共産党やサヨクが革命のための我が国の差別を探して、この同和問題に行きつき、このようになっていったのでしょう。もともと我が国には欧米のような差別はありませんでしたから。

大東亜戦争の敗北で、部落民(三国人)が我が国の一等地を奪取していったことは、現在の池袋、新宿、渋谷などの駅周辺の土地の持ち主などをたどれば判ると思いますが、廃棄物処理なども彼らの権益の一つだったようです。
森友学園はその購入した土地の地下に廃棄物が埋まっていたことが表面化して問題になったわけですから。

さらに加計学園問題は獣医師教育の問題です。獣医師と言うと判りにくくなりますが、部落民の動物遺体処理の延長にあると考えればいかがでしょうか。
何れにせよ廃棄物処理や獣医育成の既得権益の問題に帰着するようです。

建築現場での生コンクリート敷設も重労働と既得権が働く現場のようで、関西生コンが運行妨害や恐喝で勢力を拡大していったように思います。
今後も外国人労働者受け入れで、人員手配や働き場所斡旋などの裏稼業が始まっています。これらも放置すれば新たな部落民的組織が作られ、日本社会を揺さぶり続けるでしょう。
違法行為が横行し、一般国民も巻き込みます。外国人の流入に対する法の不備が生み出す悲劇です。
立法機関(国会)の不作為が生み出す悲劇で、たどって行けば国民の無責任が原因であるとも言えるのではないでしょうか。

今回、警察は慎重に関西生コンを詰めていったようにも思えます。
ですから今回のこの事件については、どこまで深く追求されるかが興味のあるところです。確実に犯罪として処理されるならば、国民は同質の事件を泣き寝入りすることなく対処することが出来て、無責任から抜け出せるかも知れませんね。

2018年10月23日火曜日

トランスジェンダーの排除

アメリカ・トランプ大統領は、オバマ前大統領が決めたトランスジェンダー(心と体の性が異なる人)の存在を認めて保護することを行政当局の取り組みから排除することを検討し始めたと言うことです。
オバマ政権で拡大したLGBTの権利は、今後縮小に向かうでしょうか?
なにしろトランスジェンダーの生徒に自らが選んだ性のトイレの利用を認めたのですから、これでは痴漢なのかトランスジェンダーなのか・・どう判断するのでしょうか。

トランプ大統領がトランスジェンダーのアメリカ軍入隊制限を発表した時、サヨク・リベラル系の人々が抗議をしたことから見て、今回はもっと激しい抗議が出ることが予想されますか、それを承知の上でのことでしょう。

このトランプ大統領の方針を受けて、アメリカの厚生省は性について連邦政府機関が「明確で客観的かつ管理可能な生物学に基づく」定義を採用するよう促す方針を検討しているそうです。
「生まれつきの生殖器で定義すべき」とか「異議がある場合、遺伝子検査に基づいて決着させる」などの案が出ているとか。

アメリカのマスコミは、11月の中間選挙を間近に控え、共和党支持層の保守派にアピールするねらいがあると報道し、保守層にアピールするための発言とも書かれているようですが、それが本当かどうかは判りません。

日本では杉田水脈衆議院議員が「LGBTは子供を作らない」ということから、彼らに社会福祉で国民の税金を使うことに異議を唱えました。
福祉は日本の未来を担う可能性に付与すべきだという感覚です。それでもサヨク・リベラルは彼女を攻撃しました。

その攻撃と、このような発言をするトランプ大統領に対する抗議はかなり似ているように思います。
杉田氏を擁護したのは「新潮45」という雑誌と、そこに記載した小川榮太郎氏など、結構多くの識者が賛同しておりましたが、サヨク系の圧力でしょうか「新潮45」は休刊となり、杉田議員はこのところおとなしくしております。

トランプ大統領はおとなしくしていることは出来ません。まもなく中間選挙ですから。そしてこのように提起しておくことで、選挙結果がどう出るか、多数を取ればトランスジェンダー排除をアメリカ国民の多数が望んでいることになります。

オバマ政権はサヨク・リベラルに偏り、マスコミを味方につけるためのトランスジェンダー擁護に踏み込んだのかも知れません。
トランプ大統領は最初からマスコミを敵視し、SNSを使って自らの意見を発信しました。民主党が低迷する中、トランプ大統領が中間選挙を使って、変なリベラル風の「トランスジェンダー擁護」を止めさせる賭けに出たようにも思えます。

トランスジェンダーというのは一種の病気だろうと思います。直るものなのか直らないものなのかは判りませんが、性的少数者であることに間違いはないでしょう。
そしてある意味での擁護は必要でしょうが、社会システムとして取り込むことには無理があると思います。

サヨク・リベラルは、よく「弱者の味方」のように振舞います。しかし視野が狭く社会全体に対する影響は考えません。
ですからよく弱者を裏切ります。社会システムとしてはうまく機能しないからです。

トランスジェンダーの方々は「そっと静かにしていて欲しい」という希望を持っていると聞きます。社会生活に支障のないようにしてくれればいいと言うような感じです。ですからあまり騒ぎ立てることはしない方が良いように思います。

また、LGBに関しては、日本では昔からあったもので、十分社会に溶け込んでおります。差別も無ければ社会生活も出来ているように思います。

それは日本独特の感覚、「甘え」が理解されているからです。甘えという言葉に相当するものが欧米系の言語には無いそうです。
ですからLGBという差別が生じてしまうようですね。学者や芸術家などでこの感覚が研ぎ澄まされている人には生活しずらい欧米社会のようです。

サヨクが使うLGBTは政治用語です。
政治的意味を持って使われ、政敵を「差別主義者」とか「人権無視」といって貶めるための用語でしかありません。

LGBTはかなり微妙な用語で、慎重に使うべきものです。しかし政治用語としてのLGBTは粗野で攻撃的です。
トランプ大統領はこの政治用語としてのトランスジェンダーに切り込んだのだと思います。それがアメリカの有権者に伝わったかどうか、中間選挙の結果によって判るでしょう。

2018年10月21日日曜日

教育勅語の議論

安倍内閣で文科省の大臣となった柴山昌彦氏の就任会見に、共産党の宮本岳志衆院議員が噛みつきました。

柴山大臣が「教育勅語については、それが現代風に解釈をされたり、あるいはアレンジをした形でですね、今の例えば道徳等(とう)に使うことができる分野というのは、私は十分にあるという意味では普遍性を持っている部分が見て取れるのではないかと思います」と述べたかららしい。

この発言は、NHKの記者が仕掛けた「教育勅語について、過去の文科大臣は、中身は至極まっとうなことが書かれているといった発言をされているわけですけれども、大臣も同様のお考えなのでしょうか」という質問に答える形で述べたものです。

そして共産党の宮本岳志衆院議員が、自身のフェイスブックに「またバカが文部科学大臣になった。教育勅語を研究もせずに教育勅語を語るな!」などと書き込みました。

柴山大臣は、現代風にアレンジすると言う点を具体的に「同胞を大切にするとか、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について、現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」とも述べております。

教育勅語については、昨年「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されていない」と言うことが閣議決定されています。

しかしこのNHKの記者の質問と柴山大臣の回答について、朝日新聞は「教育勅語発言 柴山文科相の見識疑う」などという見出しの記事を書きました。
毎日新聞は柴山大臣の発言を「時代錯誤」と断じているそうです。そしていかにも「教育勅語復活を策すトンでもない大臣が現れた」と言う意味を読者に与えるような記事にしているとか。
もちろん安倍政権を潰す意図で書かれたものでしょう。

ジャーナリストの門田隆将氏は、この朝日新聞のやり方を「『ストローマン手法』と呼ばれる、いつもの新聞のやり方だ」と断じております。
ストローマンとは藁人形のこと。相手の発言意図を捻じ曲げたり、一部を切り取ったりして発言者の本意を伝えず、自分の主張に合わせてしまうやり方で、世論を誘導しようとするジャーナリズムの手口だそうです。

門田氏は、岩屋毅防衛相に対しても「先の戦争について、侵略戦争と考えますか、考えませんか。大臣の言葉で聞かせてください」などと繰り返し質問していたと言います。
岩屋毅防衛相は、「安倍晋三首相の戦後70年談話と同じである」と繰り返し、この挑発的質問を抑えたそうですが、もし違う答えを引き出せば、いつもの「ご注進ジャーナリズム」が動き出しただろうと述べております。
「ご注進」とは中共、韓国を巻き込んで「侵略を否定する防衛大臣」などと騒ぎ立て、安倍内閣打倒を叫ぶための「ご注進」です。

産経の論説委員・阿比留瑠比氏は、共産党の「(道徳は)さまざまなことを経験し学習することによって、自主的判断で選び、形成していくもの」という主張をして小中学校における道徳の教科化に反対していると話します。
そしてこのような道徳観で形成されたらしい共産党議員の今日の言動をみると、「より教育勅語の精神や道徳の教科化が重要だと思えてくる。」と皮肉っております。

もともと日本の教育は、武家や豪商で行われていた「家訓」から派生し、明治になって中央集権を実現し富国強兵を行うために統一した見解として明治15年(1882年)に作られた「軍人勅諭」から始まったわけです。

時代は欧州列強が産業革命を経て実現した強力な武器でアジア各国を植民地化していた時代、国軍の近代化が急務だったことから、「天皇陛下」を核とした国軍の成立を目指したわけです。
そしてその軍人の心構えを勅諭という形で陛下から下賜されたものが「軍人勅諭」でした。

そして民主化が始まり、「一般国民も教育が必要」とする考えから明治23年(1890年)に教育勅語が陛下より全国民に下賜されたものです。
教育はもはや武家とか公家、豪商だけでなく一般国民にこそ必要なものという考えが浸透し始めた時代でした。

これより前の明治5年に、福沢諭吉は「学問のすすめ」を書いておりますから、教育勅語は学問というよりも日本人の道徳育成に必要なことをまとめたものだと思います。
おそらく欧米列強を軍事技術が強いだけの野蛮人と見たからこそ、教育勅語が作成されたのではないでしょうか。(「和魂洋才」も同じような意識が働いたのでしょうね)

大東亜戦争に負けた我が国。一気にアメリカ型自由主義が流れ込み、教育界は過去を否定しアメリカ型自由民主主義に置き換えられました。
つまり「野蛮」が蔓延り始めたわけです。それでも日本国民は日本文化を守り我が国の価値観を駆使して欧米を凌ぐ技術大国にのし上がったのです。軍人勅諭と教育勅語がアメリカ型社会を抑制したからだとも考えられないでしょうか。

その抑制も次代と共に消滅し、やがて肉親殺し、弱い者いじめや強欲といった「野蛮」が噴出してきたのです。
「教育勅語」の見直しはこのような現在の日本社会に蔓延る「野蛮」を見て始まったのではないかと考えます。

もう、共産党の主張こそ「古い日本の間違った考え方」に堕ちているのではないでしょうか。